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自己責任の範囲外

 加齢とともに瞬間判断力は低下していきます。決断や選択を瞬時に問われるような質問に対して、自身の都合や可能不可能を考慮する以前に、何が優先かといった質問者側の論理に飲まれて流される決断をしがちになるのです。後でゆっくり考えて、やはりできそうもないと前言を撤回するという展開になることも多いでしょう。 若い世代の場合は、NOを言えない性格など、本人の性格上の問題に帰されますが、熟年世代になると、この瞬間...

価値のない人間

 人の役に立たないと、人から必要とされないと、生きる価値がない。ままならない現状に自己卑下して、こんなふうに考えてしまう人もいるかもしれません。では、みんなの役に立つ人は幸せなのでしょうか? 自分のニーズを満たしてくれそうな相手に、人は近づいていきます。他者から必要とされることのみを喜びとしていると、いつの間にか、頼みごとや用事を持ってくる人ばかりに囲まれているといった状況にもなりかねません。気が...

社会性を身に付ける

「社会性のある人」というと、どういうイメージでしょうか?活発で、リーダーシップを取れる人、友人も多く、物おじせず言いたいことを言えて、誰とでもすぐに打ち解けられる明るい性格の人、といった感じでしょうか? おとなしくて、誰かから話しかけてもらうのをじっと待っているような子供は、ともすれば問題視されがちです。本人も、クラス替えの後、数日もすれば他の子供たちはみんな仲良くしているのに、なぜか自分だけが浮い...

基本的信頼

 他者や社会が安全だという感覚は、いつごろ作られるのでしょうか。おそらく、脳の発達著しい幼少期ではないでしょうか。 子供には、第三の環境が必要だと思います。学校は競争社会であるが故に、必ずしもどの子どもにとっても、居心地のいい場所であるとは限りません。いじめ等の人権侵害も、昨今多発しています。 もっとも信頼のおける場所であるはずの家庭も、両親のパーソナリティや価値観、また家族間の関係性の影響を強く...

疲弊と救世主願望

 「がんばろう、日本!」などといわれても、何をがんばれというんだ、これ以上!!と、返したくなる人も多いのではないでしょうか。 この混沌とした状況の中で繰り広げられる政界のドタバタ劇は、日頃政治に無関心な人々の口さえも、唖然としてあんぐり開けさせてしまったことでしょう。 原発事故の影響は、自己保身に汲々とする人々の間で過小評価され、専門家の発言までもが、業界寄りではないかと、疑わしくなるほどです。ひと...

社会と個人

「人はパンのみに生きるにあらず」ということばがあります。自己実現や生きがい、人生の意味を問うことの大切さを指しているのでしょうか。それは、『パン』を保障されている人々の目標であり、マズローの自己実現ピラミットの上層部にいる人々の課題といえそうです。  社会には、日々の糧を得るために、休む間もなく働き通している人々が、大勢います。余剰人員として、その職さえ失ってしまう人々もいます。  これは、安定して...

なぜ若者が「宗教」を求めるのか

 オウム真理教事件を初めとして、宗教団体が社会の注目を集めるとき、それは途方もなく非現実的な反社会的事件が表面化したときです。人々は彼らの言い分に共感できず、理解さえもできず、なぜ成績優秀だった彼らが、そうした思想に囚われてしまったのかと、首を傾げます。 翻って考えれば、地に足の着いた現実感を持たない若い頃ほど、宗教的信念に染まりやすいといえるでしょう。子供の頃は、いやな現実から目を背け、アニメや...

宗教とアイデンティティ

 医療と市場経済の発達によって、宗教やシャーマニズムは、当然淘汰されていく文化と、誰しもが考えるでしょう。ところが、科学がエビデンスを提示しても、神秘主義や信仰は、それに抵抗するかのように、一部の人たちを惹きつけています。 原理主義者と呼ばれる人たちは、聖書に書かれてある言葉を、全て額面どおりに受け取ります。 印刷技術のなかった時代、一握りの文字を解する人々によって、一文字一文字書き写されていく中...

閉鎖的共同体と妄想

 小さな田舎町。固定的なコミュニティ。どこそこの家で子猫が生まれたことも、知れ渡っている。こうした前近代的な閉鎖的社会には「プライヴァシー」がありません。自分の身に起こった様々な出来事を、今このときも、誰かが話題にしているかもしれない.....。 いつ、どこから見られているかもしれないとなると、「姿勢を正さなくては」「羽目を外してはいけない」などと、ついつい考えて身構えてしまうのも無理はありません。 ...

集団の狂気 『集団浅慮』

 『狂気は個人のうちではまれであるが、集団ではありふれている』ということばがあります。「3人寄れば、なんとかの知恵」とことわざにあるように、ひとりの脳には限界があり、脳には別の脳の力が必要ですが、一方で個人ではとうてい考えられない狂気じみた判断を下してしまうのも、集団の力です。これは、『集団浅慮』と呼ばれています。集団の凝集性が高いときに起きてきます。  その集団内の個々人が同じ見解を持ち、外部の...