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辺縁系の破綻

  人が経験するストレスの中で、最も激しいものが、パートナーとの別離です。死によって引き裂かれるよりも激しい怒りを味わいます。
 性的関係を伴う関係性は、辺縁系の絆です。排他的な親密性を求めます。
 相手の心が冷めれば、それがまるで熱伝導のように伝わって、こちらの心も冷めてしまう、そんなふうにして、寂しさはあるものの、すんなりと終ってしまう恋もあります。
 待ち合わせた店で、彼は他の女性と楽しそうに話しこんでいた。こちらの存在に気付いても、無視して親しそうに話し続け.....。ショックを感じたものの、薄々心変わりを感じていたので、それ以後、こちらからは連絡を取らず、向こうからも電話は無く、いつの間にか、遠く遠く時は過ぎ去り.......。何が原因だったのか、彼が何を考えていたのかも、解らないまま.....。


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 そうかと思えば、ナイフのようなことばの応酬で切り付けあい、泥仕合を演じた果てでなければ、終われない恋もあります。何が違うのでしょうか。
 いつも決まって泥仕合を演じる人、無感動に終る人もいるかもしれませんが、ひとりの人が、全く正反対なふたつの恋の終わりを経験することもあります。
 たとえ短期間でも、フィフティフィフティで、ちゃんと向かい合えた、そうした恋ほど、静かな別離が訪れるように思います。
 一方、支配的で怒りっぽく、不誠実な相手を選んでしまったような場合、ちゃんと付き合っているといった意識を持てません。「自分は愛されていない。利用価値の分だけ、必要とされているにすぎない。」といった意識を抱いて、充たされません。すると、支配しようとしてくる相手をコントロールして、相手を支配することによって安定を得ようと努めることになります。
 与えられないことによって渇望が強くなり、潮時の見極めができません。さながら、負けが混んでいるギャンブルのようです。今度こそ今度こそと、手持ちのカードを差し出してしまうのです。時間、動労、金品、持てる物は何でも差し出して、相手をつなぎとめようとします。

 皮肉なことに、そうした態度が、相手から暴力を引き出すともあります。身体的な暴力に至るケースも少なくありませんが、それよりもはるかに多いのは、心にダメージを与える精神的暴力です。
 この場合、相手はそれを暴力だとは自覚していないことも多いものです。ただ、ちょっと、こちらの態度やその存在が、邪魔になった、疎ましくなった、そういうことです。
  「私の領域に、入り込んで邪魔するな。私との付き合い方を覚えろ。」
 ここでいう領域とは、彼がそうしたい時に、そうしたい相手と付き合うことに、干渉しない事も含まれています。干渉すると、激怒してさっさと他の女性の元に去っていきます。

 理不尽な関係性の終わりは、辺縁系を傷つけます。もう生きていてもしようがない。もう生きてなどいたくない。そんな自暴自棄な心境になります。大脳辺縁系の痛手が修復されるまで.....。
 回復して、やっと気付くのです。不健全な関係性が終わりを告げたのは、幸いだったと。終った関係性を評価するのは、辺縁系の化学的な変化が静まるのを待たねばなりません。その時、やっと別な視点が見えてくるからです。

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テーマ: 恋愛依存症? | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: 失恋の処方箋

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