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エゴ・スプリット

「他者を許せない人は、自分をも許していない。まず、自分を許さなければ、他者を許せるようにはならない。」
言い尽くされた感のあることばです。では、許されない言動をしてしまったら?そう、忘れてしまうのです!!
 規律、規範、常識、道徳。厳しい超自我で武装している人の行動が、いつも清廉潔白だとは限りません。そもそも、人を行動へと駆り立てる情熱は、快楽であり、利益への貪欲な追求なのですから。
 他者の不道徳を責め立てる人は、自分の不道徳を省みません。
「そんなことを言った覚えはない。」「記憶に無い。」
「言った言わないは水掛け論だからやめましょう。」
 こんなことばでシラを切られると、○月○日、×時×分をテープに収めて聞かせてあげたかった!!という心境にもなります。

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 その場の感情に任せて、激昂する人は、また、自分の都合の悪いことは覚えが無い人でもあります。シラを切っていると、
嘘をついている、言い逃れているという自覚がありますが、「否認の心理」にはこの自覚がありません。
 容赦なく罵声を浴びせて相手に痛手を負わせたり、約束をすっぽかして不信を招き、その結果相手が去って行ったとしても、去られたことによって、被害者になり、
「あんなに親切にしてやったのに、裏切られた。」と恨みを抱いたりします。立派な自己像にこだわるあまり、そうでない部分を受け入れられないでいるのです。追求すればいつも泥仕合になり、消耗するだけ....。なんて強情にシラを切る人なんだ、なんて傲慢なんだ、3歳児のようにワガママなんだ、と閉口してしまうことになります。
  エゴ・スプリットはシゾイド・パーソナリティに多いミクロな狂いです。その建前と本音の落差を突きつけられるような局面、相手に対しては、正義正論で歯止めの利かない激しい攻撃を浴びせることが多いものです。自分の真の姿を必死になって人目から隠そうとして、自分の陰の部分を持っている他者を攻撃するのです。
 それとも、建前の仮面を付けた自分を真実の姿と思い込み、生身の自分を映し出す鏡としての他者を恐れているのかもしれません。
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