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あなたの隣の偽善者

 周りの人から親切にされたら、ありがたく思い、その人に対して好感を抱くことでしょう。ところが、その人が周囲に「あの人にあんなこともこんなこともしてあげた」と力説しているのを耳にすると、売名行為のために利用された感がして、感謝も半減してしまいます。
 周囲へのアピールは、それを聞く人も不快にします。聞かされる人は、賞賛しますが、させられているので内心辟易としてしまうのです。
 偽善者は、演説の名人です。世のため人のためと、ほれぼれするような立派なことを言います。ただし、それを自らが行っているわけではありません。むしろ、その逆でしょう。自分の利益のために、他人を利用することをためらわない、顰蹙を買う行為が目立つ人と言えます。言葉と行いの間に、大きな乖離があるのが偽善の特徴です。

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彼らの大袈裟な善意は、自分を輝かせるための手段なのです。そのため、相手を選ばず、人目に付く「善意」を好みます。
 普通の人の善意は、周りの人に反射的に手を差し伸べる類のものです。「良いことをしている」といった意識は、全くもちません。相手の、ちょっとしたピンチに役に立てば、それでよしなのです。ですから、見知らぬ人のところにまで、わざわざ差を差し伸べに行くこともありません。
 「愛を説く人」は、見知らぬ人の元にも走り寄り、周囲の人たちにも、人の役に立て、そうでなければ人として価値がないと煽ります。そして、自分の役に立ってくれと訴えるのです。つい、情にほだされて引き受けると、「愛を説く人」の感謝しらずな本質に遭遇することとなります。上っ面だけの感謝の言葉、相手が帰ると、途端に悪口、等など。
 
 偽善者は、他人に尽くしているようにふるまいますが、そこにあるのは共感や愛ではなく、利益です。見返りの乏しい事柄には、労力を割きません。相手の痛みへの共感や、相手への慈愛から反射的に手を差し伸べる人とは、感性に違いがあります。

 利己的な善を行う人は、面識の乏しい相手には好印象です。ですが、付き合いを重ねるうちに、「自分の評価を上げるために不幸な人を利用している」「口先だけできれいごとを言って、あまりにも自分本位だ」と、ほころびが出てしまい、結果、人心が離れていくことが多いものです。
 利己的な人は公の場では善意に振る舞い、仲間内では、自分の利益や満足のために他人を利用しているため、信頼を失いやすいものです。また、口先が達者で、言葉で言いくるめ、その信頼を裏切る行動を、平気でとることも多いことから、いっそう信頼されません。いい人に見せたい一心から、きれいごとばかりを並べ、たまにのぞかせる本音が、身近な人の悪口ばかりなのでは、それも無理からぬことです。
 注目されたい、スポットライトを浴びたい、評価されたい、すべての人を自分に従わせたい、偽善的な人のこうした欲求は、そうなれなかった自身への不全感の表れかもしれません。

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