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依存とカルト

 「あなたは尊い」
「あなたは神さまに愛されている」
 尊い?そんなことは、当たり前でしょう。生命は全てみな、唯一無二の存在なのだから。この空の彼方にいるという想像上の存在に、愛される必要などあるのですか?と、首を傾げてしまいますが、これは宗教団体に訪れた人に向けられる賛美のシャワーです。
 実社会は能力や手にしたものによって「階級」があると信じている人たち、そこに敗北感や虚しさを味わった人たちを、惹き付ける力が、カルトにはあるのかもしれません。

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それならば成功、達成の三角形の頂点を目差すサクセスストーリーの上層にいる人々よりも、下層にいる人々の方が、はるかに多数なのですから、カルトに傾倒するする人々がもっと多くいていいはずですが、実際には少数派です。 
 むしろ、19世紀以降、衰退の一途を辿っているように思えます。それでも、一部の熱心な信奉者を魅了するのは何故でしょうか。
 真っ先に浮かぶのは依存の問題です。いつも、どこにいようと、何をしようと許してくれ、愛してくれる存在を必要とする思い。パートナーや恋人に無条件の愛、永遠の愛を求めても、揺れ動き移り変わる人の心が相手では、充たされません。決して心変わりしない、想像上の親や恋人、それが信仰なのかもしれません。

 宗教上の指導者は、平会員の相談に乗ることを仕事としていますが、精神医療や情緒的問題の専門家ではありません。そして、それぞれの専門化につなぐような回答をするとは限りません。神に依存するよう導くこともあります。
 医療上の問題を、信仰による癒しのみを解決策とするのは危険です。19世紀以前には、精神的な疾患は悪魔の仕業とされてきましたが、21世紀の今日でもまだ、『霊的な』原因があるのだと言う人もいます。
 
 自分がどう考え感じ行うべきかを教えてくれる人を必要とするほど、混乱してしまう場面も、人にはあります。困難な事態に遭遇して、一時的にそうなるばかりでなく、いつまでも他人を頼って、他人の指示や権威を求めるという人もいるでしょう。
 自分にとって何をするのが最善のことか、自分よりも自分以外の人のほうがよく知っていると信じるようになると、その人は本当に危険な状態だといえます。
 心理操作の二大柱は脅迫と罪の意識を押し付けることです。「あなたは尊い」と美辞麗句を口にしながら、同時に「あなたは罪人だ。罪の告白をして、許されなさい。」と説きます。この罪には、生命としての当然の行動も含まれます。
 これは、取調室で無実の罪の自白を強要されるようなものです。惨めで屈辱的な心境になります。
 食事や生殖、人としての自然な感情まで罪に定めて裁き、相手の自己評価を下げさせ、自律を妨げるよう導きます。どれほど苦しくても、どれほど貧しくとも、手放してはならない最後の砦、『主権』を手放すよう説くのです。

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テーマ: スピリチュアル | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: 共依存

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