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カルトに依存する心理

 ピラミットの頂点を目差す市場競争社会。
 評価に値するものが自分にあるだろうかと不安に思う人にとって、神に『選ばれた存在』であることは魅力的な価値基準かもしれません。
 私は神に『選ばれた存在』であり、神を知らない人は、人として精神修行のまだ底辺にいるのだというエリート意識。したがって、未熟な彼らに、人として、神に従って生きる道を教え説かねばならないという使命感。
 また、神は水をワインに変えてまでも、惜しみなく与えてくれる存在であり、ただし、それに預かれるのは、神と契約を交わした自分たちだけであるという選民意識。

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 我々対彼ら。白か黒か。神、教義、指導者。この大いなる絶対的権威。
 自分の判断ではなく、正しいとされる教義に従って下した判断に人が異論を唱えるとき、堂々と胸を張れます。私は律法を守っているのだと。
 これは因襲だから、前例のとおりだから、経典に記された神の御言葉だから!!
 考えること、決断すること、その責任を負うことから免れます。結果がどう出ようと、それが『神の意思』なのですから。権威主義的パーソナリティにとって、頂点に立つ権威、それが神といえます。
 カルトのメンバーたちはおたがいに、ほかのカルト集団に入ったものを見下げています。自分たちの神だけがこの世で唯一の正しい神であり、他の宗教は、悪魔の化身でもあるかのように。
 その宗教の教義を受け入れたことによって、その人には何らかの意識の変容が起きたのです。そして、認知が変わり、それに伴って感情にも変化が起きてきた、つまりそういうことなのですが、何か超越したような感覚になり、自分が偉くなったような、他者が愚かであるような、狭い世界に生きているが故の視野狭窄に陥ります。『我々の団体』の外部にいる人々に対して傲慢になります。
 その教団内が生活圏の全てとなると、他の社会では通用しない『常識』を持っていることに気付けません。
 神概念は人間の創造であると考える人にとって、目には見えないが神なる存在が確かにあると信じている人の精神世界は、理解しがたいものです。
 同様に、神こそが創造主だと信じているものにとって、それを受け入れないものは、目が開かれていないものと考えています。
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カテゴリ: 共依存

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