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ストーカーの心理

 誰にとっても相手の心変わりはいやなものです。親密な関係性の終焉を受け入れるのは、辛いことです。できれば、もっとよく話し合って、よりよい関係を構築したいと思います。相手にその意思がなさそうなら、職場からの帰り道で待っていようかと考えたりもします。
 ですが、それを実行することはありません。追いかけたいという衝動には強い自制がかかるのです。その行為がもたらす結果をネガティブに予想したり、相手の出方に任せようとする、冷静さだったり、葛藤の中で、前頭前野が大脳辺縁系の情動を押さえるのです。
 恋の終わりは、努力しても叶わないことがあること、この世の全ては無常であること、移ろいゆくものであることを教えてくれます。

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ストーキングという行為は、この無常を受け入れられないところから生じます。加えて、自分の感情や衝動に対して、抑止力が効きません。
 そこにあるのは、失われた関係性を取り戻したいという強い願いです。それがもう不可能であることは、目の前の現実を見て解っているのですが、それだけに一層渇いて、身体に必要な水を求めるように、相手の愛を求めます。
  完全に裏切られない愛情を欲しがる心理に従っているといえます。幸福とは相手が自分のニーズを充たしてくれる状態であり、その相手は追いかけているその人でなければならないのです。愛=依存の構図があります。
 誰しも、相手の心変わりに激しい憤りを感じることでしょう。その関係性を維持するために掛けたコストに見合わない展開だからです。
 この自己愛憤怒を省みるとき、人は自分以上に他者を愛すること難しさに気付きます。そして、結局、愛とは鳥かごの蓋を開けて小鳥を空に放つような事だという結論に至るのです。
 鳥かごが心地よければ、飛び疲れた後戻ってくるかもしれません。よりよいねぐらを他に見つけたならば、二度と帰らないかもしれません。愛とは、この不確実性に耐えることかもしれません。
 ですが、恋愛や結婚が相手を束縛する権利、所有する権利、つまりパートナーを鳥かごに入れる権利を得ることだと考えている人は少なくないかもしれません。そう考えることで、不安を払拭できるからです。
 幸福を他者に依存するほど、不安は強くなります。結婚式の永遠の愛の誓いは、その不安に応える装置といえそうです。ですが、人の心が縛れない以上、不安は残ります。
 すると、相手を自分の下に留め置くために、支配とコントロールを強めることになります。過去の誓いを持ち出して相手に罪責感を抱かせたり、社会の非難をチラつかせて心理的に脅迫したり、しかも、それを当然の権利と考えています。
 そこには相手への愛情というよりも、自分が優位に立って相手を支配し、コントロールして、安心したいという自己中心的な思いが強く出ています。 
 ストーカーになる人たちには、こうした自我の脆弱性があります。
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テーマ: 恋愛依存症? | ジャンル: 心と身体

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