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ゲシュタルトの祈り

私は私のしたいことをします。
あなたはあなたのしたいことをして下さい。
私は、あなたの期待に添うために生きているのではありません。
そして、あなたもまた、私の期待に添うために生きているのではありません。
あなたはあなた、私は私です。
でも、私たちの心が、たまたま触れ合うことがあったのなら、どんなに素敵なことでしょう。
でも、もしも心が通わなかったとしても、それはそれで仕方のないこと。
何故なら、私とあなたは、別の存在なのですから

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人が自分の期待したように動いてくれない時、
私たちは怒ったり、ひがんだり、いじけたりします。
それは、「この人は、私の期待に答えるくれるはず」
という期待への期待があるということ。
相手が自分の支配に服さなかったことへの怒り。
逆に、相手の期待に答えようとして答えられなかった時は、
相手の愛情や好意を失いはしないかと恐れます。
「私は、この人の期待に応えなければ愛されない」
という無意識の思いがあるのです。
自分の期待に応えることを相手に要求するのは、「支配」。
相手の期待に答えることを自分に要求するのは、「隷属」。
より多く相手を欲しているひとりが、相手を繋ぎとめようとして「隷属」に甘んじます。
相手に執着していないひとりが、相手を都合よく使おうとして「支配」します。
それは上下の関係で、同じ人間と言う横のつながりではありません。
愛されるだけの一方は自分を神とし、
愛されたい他方は彼が神であることを許すのです。
幸せな人は、誰をも神としないで、
同じ人間として、
自分自身を生きている人です。
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テーマ: 恋愛依存症? | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: 共依存

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