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無力感と救い主願望

 目の前の問題を乗り越える力が自分には無い知るとき、未来に対しても不安感が強くなり、取り越し苦労をしがちです。そんなときは、外界に不変を求めてしまいます。動揺するような事態が訪れないことを祈ります。永遠の愛を求めたくなります。
 困難な事柄ばかりに目を向け、自分の能力が信じられないとき、代わって解決してくれる他者の存在にも失望したとき、宗教によるセラピーに頼ろうとする人もいるかもしれません。
 神の愛は永遠です。ちょうど、スクリーンの中のヒーローが、自分を愛してくれているという妄想が、相手の拒絶によって終ることがないのと同様に。

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神を信じたことによって、目の前の景色が全く違って見えるようになったと語る人もいます。守られている、受け入れられているという認識を持つことによって、意識の変容が起きたのです。恋に落ちたとき同様に、神経伝達物質ドーパミンが過剰に放出されているのかもしれません。
 人が道徳的であるためには、宗教が必要だと考えている人もいます。道徳の基盤は、他者の痛みや心情を我が身に置き換えて考えられる共感能力です。それがあやふやな人には、教義による教えや、罰の概念が必要なのかもしれません。
 人を傷つけてしまったような場合にも、神に祈れば神は許してくれると語る人もいます。「神によって許された」と信じるのは自由ですが、反省や謝罪の姿勢を示さない限り、相手は許してくれないでしょう。
償わなくてよいと考えるのは自己満足に過ぎません。
 このように自己防衛、自己正当化のために教義を解釈する人は、少なくありません。現実を受け入れることからの解放、自らの責任を引きうけることからの救い。神、宗教、神秘的超越的力に対する信念は、それ自体、依存症になりかねません。
 そして、今度はそれがアイデンティティになります。熱心な信者の多くは、自らの宗教観などに関して、強迫神経症的になっています。
 あまりに狂信的になりすぎて、信者ではない人を、罪深い哀れな人だと見下したり、「我々対彼ら」「白か黒か」の論理で、敵視したりします。
 集団で共有される概念は妄想とは呼びませんが、外集団との摩擦を引き起こします。それがいかなる神であれ、絶対的な信念を持つことは、精神の健康には危険なのです。
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テーマ: 不安定な心 | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: 認知と癒し

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