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恋愛依存からの離脱

 もしも、その関係性から喜びを得る事が乏しく、痛みや苦しみばかりが多いならば、その関係性を終らせたほうがいいのです。修正するのではなく、終らせたほうがいいのです。
 ですが、それは容易ではありません。他の依存対象にも増して、異性関係への依存は、強い愛着と執着を生み、またそれが正当化されやすいのです。一方的な搾取や、心理的恐喝に耐えていても、諦める決意をするまでには、時間がかかります。
 通り魔に切りつけられたとき、介抱してほしい、悪かったと気付いてほしいと、その通り魔を追いかけるようなまねはしません。ところが、異性関係では、まずこうした行動が起きてしまいます。

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相手の言動がいかに自分を傷つけたかを相手に悟らせて、相手を矯正することにより、良い関係性を築きたいと願うのです。相手の価値観や感情を操作し、自分にとって都合のいいように教育しようと試みます。そのために、自分よりも相手を優先して尽くしたり、褒め上げてその後でチクリと批判したりと、策を巡られます。
 これは困難な試みといえます。そもそも、ありのままに振舞って寛げない関係と言うのは、疲れる関係なのです。疲れるから、疲れない関係にするために、さらに動力をつぎ込むこととなります。
 「この人しかいない。生きる場所はここしかない。」
こうした強迫性が、その核心にあります。

 努力にもかかわらず、その関係系が終わりを告げたとき、胸中にあるのは、相手への怒りと、そうした相手を選んでしまった、そして早々に切り上げられなかった自分自身への怒りです。
 吐け口のない怒りは、強い疲弊感をもたらします。抑うつ状態からの回復にも、時間が必要です。
 DV、モラハラ的男女関係とその終焉など、経験しないで済むのなら、それに越したことはありません。ですが、もし、経験してしまったら、それは成長のための貴重な教訓を数多くもたらしてくれます。
 幸せとは何なのか、自分をたいせつにすることとは、どういうことなのか、そして、人間とはどういうものなのか.....

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テーマ: 恋愛依存症? | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: 恋愛依存

コメント

しあさん、こんにちは。
大切に思っている人からは大事に扱われたいし、愛と依存を分けるのは難しいですね。
その上、これまでの日本の文化も、さんざん家庭や結婚を美化してきましたから。
時間がたつにつれ、「あー、あんなことまで許していたんだ、我慢していたんだ。とんでもない状況にいたんだなぁ」と振り返って思えるようなら、それは終わらせて「マル!!」だったってことでしょうか

2008/08/16 (Sat) 22:54 | 美優 #- | URL | 編集

美優さんこんにちは。
自分を傷つけたかを相手に悟らせて、相手を矯正することにより、良い関係性を築きたいと願い、疲れるから、疲れない関係にするために、さらに動力をつぎ込み、そうした相手を選んでしまった、そして早々に切り上げられなかった自分自身への怒りに疲れてます。
別れたパートナーのように浅い感情の、他者の気持ちに鈍感な人だったら楽なのになあと思ったりもしました。

占いに行って見てもらったら、『あなたって離婚したのにとっても幸せってでてるわよ。めずらしいわね。』と言われました。実はそうなのです。かけがえのないはずだった人がいなくっても、結構幸せな自分に気がついてしまって、時々しみじみ『幸せだなぁ~』などと思ってしまい戸惑っています。

パートナーのことで近視眼的になってずっと狭い世界に閉じこもっていたのが、開放されたようなそんな気分です。
美優さんの書かれているように、自分にとっての幸せってなんだろう?人間ってなんだろう?と考えるようになりました。状況に流されて、考えることもロクにしてこないで年をくってしましました。これからは沢山考えます。

2008/08/16 (Sat) 08:11 | しあ #6J7EK2B2 | URL | 編集

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