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機能不全家庭と基本的不信感

  誰しも、「どうも○○さんは好きになれない。陰で何か言っていそうで、信頼できない。」と感じることはあります。

 基本的不信感にはそうした明確な対象があるわけではなく、この世のあらゆる物事、あらゆる人に対して、漠然とした不安感を持っています。基本的不信感は被害妄想の土壌となります。

 エリクソンは、基本的信頼感は、乳児期に養育者との関係を通して築かれるといっています。機能不全家庭に育つと、当然獲得しにくいといえるでしょう。

 精神的にも安全で、愛情を注がれて育つことが望ましいのは、いうまでもありません。愛情は、感情ではなく、行為です。

「子供を可愛く思わない親はいない」とは、よく言われる言葉ですが、可愛く思っているからといって、適切な養育ができるとは限りません。過干渉、過保護も心理的虐待の部類に入るのかもしれません。子供が自分自身の能力に、不信感を抱いてしまわないとも限らないからです。まるで、ひな鳥の世話をしながら羽をむしって、大空に巣立てない翼にしているようです。自立しないように、自分に依存させているようにも見えます。

 


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 さらに未熟な親は、子供に依存します。

「お前が大好きだよ。だから、お父さんのパジャマをアイロンで乾かしておくれ。」

子どもは、親の存在を重荷に感じます。

 精神障害のある人を親に持つ子供は、子供らしい子供でいられません。困ったことがあっても、相談できません。妄想に基づいた、誤った判断をされるのでは、混乱を深めたり、取り返しのつかない事態になりなねないからです。親はいても、保護者はいない状態に、子供は置かれます。

 親子の立場の逆転は、小学高学年の頃に、すでに起きてしまいます。子供は、親に世の中はそれほど恐ろしくはないことを説き、主観に傾きすぎていることを指摘します。

 それでも、子供は、親の親代わりにはなれません。背中におぶさってくるばかりの親に、怒りと憎しみを覚えます。

 子供は親を養うために生まれてくるのではありません。自分自身の人生を生きるために、生まれてくるのです。ですが、依存心の強い親は、まだ未成年の保護が必要な年頃の子どもに、すでに依存します。

 その親もまた、自分の親を激しく憎んでいる場合も、少なからずあるでしょう。家族という小宇宙では、似たような人格傾向が生み出す、同様の人間関係のひずみが連鎖します。

 基本的信頼感が育まれなかった人は、自己肯定が難しくなります。

「自分はだれからも愛されない。」

「○○でなければ、愛されない。」

こうした信念を形成してしまいます。経験から、それを学んだのです。

すると、「必要とされることを必要とする」ようになり、困っている人を見つけては、救世主を志願したり、自分の力への不信ゆえに、ひどい状況の中に留まったり、自分を後回しにして、人のニーズに応える「いい人シンドローム」に陥ったりします。

 恋愛関係の中でも、見捨てられまいとして、相手好みの自分を演出したり、時間や動力を過剰に提供したり、逆に、見捨てられるのが怖くて、情緒的に深入りすることを避けたりしがちです。

 相手にしがみつく恋愛依存は女性に多く、親密性を恐れる回避依存は、男性に多いといわれますが、どちらも同じ心理が働いています。

 

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テーマ: 恋愛依存症? | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: 共依存

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