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疲れ果ててしまったら

 朝、目を覚まして、激しい精神的な疲労感を感じたり、世界から取り残されてしまったような孤独感を感じるとき、ちょっと振り向いてみてください。
 最近、大切な人に別れを告げられたり、それを引きずって仕事が手につかなくなったり、そのために上司からのパワーハラスメントのターゲットにされてしまったり、職を離れたり、金銭的に余裕がなくなってしまったり、家族に病人が出たりと、立て続けに喪失体験や、困難な問題に襲われたことはありませんでしたか。
  一生懸命がんばってきたのに、思いもよらない結果が出たり、突然のアクシデントが続くと、何もかもに疲れ果ててしまって、
「もう人生に疲れちゃった。」と感じるのも当然です。

 どんなに相手のことを想い続けても、必ずしも相手に気持ちが届くわけではありません。また、相手の期待に添おうと、出来る限りのことを尽くしたからといって相手にとって特別な存在になれるとも限りません。
 失恋の不条理なところは、振った側と振られた側では、その後の展開が大きく異なるところでしょうか。
 振る側は、もっともらしい理由を考えて、「これでいいのだ。」と自分を納得させます。その理由が何であれ、振る側のエゴイズムによって、振られる側は別れを余儀なくされるのです。
 その際に、すったもんだともめて、振った相手に泣かれたりすると、少々バツの悪い思いもするでしょうが、相手が引き下がってくれると、やれやれと肩の荷を降ろし、心の中からも閉め出して、早々に新しい日常に向かいます。
 一方、好きだという想いを募らせたままに、相手から背を向けられた方は、否応なしに一人にさせられてしまいます。これまで、その人だけが世界のすべてだったわけですから、「この世の中にたった一人ぼっち取り残されたような孤独」を味わいます。
 去っていった相手は、すでに別な人と、ラブラブな暮らしをしています。「人生はなんて理不尽なのだろう。」と感じずにはいられません。


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 耐え切れずに、その人と一緒に活動していた「社会」を離れて、相手ばかりでなく、それに付随する人間関係を喪失してしまったような場合、いやがうえにも孤独感が押し寄せてきます。
 自分が典型的な負け組みになってしまったように感じます。失恋した相手の傍らには、勝ち組となった存在が寄り添い、かつての友人知人もふたりを囲んで、一緒に活動しているとします。自分は落伍者で、もしかして、適応障害でさえあるかもしれない、そんな疑念が、ふっと頭をもたげてくるかもしれません。
 これではいけない、「プラス思考」や「ポジティブシンキング」でいかなくてはと、焦って、人の集まりの中に顔を出すかもしれません。失恋を埋め合わせる何かを求めて、あるいは、「失恋引きこもり」と自覚することを恐れて。
 そして、何かを期待して出かけたその集まりから帰途に着くとき、なにやら時間を無益にすごしてしまったような後悔や虚しさを覚えます。
 不適応、引きこもり。そんな烙印を自分に押すことを恐れて、無理をしてはいませんか。体に傷を負ったとき、熱を出したとき、無理を押してまで活動し続けようとする人はいません。同じことが心に起きたとき、なぜ、人は素直に休めないのでしょう。
 
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テーマ: 恋愛依存症? | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: 失恋の処方箋

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