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「平気でうそをつく」とき

『平気でうそをつく人たち』の著者、スコット・ペックは、『邪悪』を次のように定義しています。
他人をスケープゴートにする、他人に罪を転嫁する。
 自分は非難の対象外だと考えている。つまり、完全な自己像を守るために、他人を犠牲にする。
 スケープゴート、罪の転嫁は、精神医学が「投影」と呼んでいるメカニズムによって生じます。
 邪悪な人間は、自分には落ち度がないと深く信じ込んでいる、あるいは、強く信じ込みたいがために、他人と衝突したときには、きまって、相手が間違っていると考えます。
 自分の落ち度を自覚することには、苦痛が伴います。不安も伴います。自分が所属する社会から、その「落ち度」に対して、懲罰を受けるのではないかという不安です。そして、それを恐れます。
 人が邪悪の衣をまとうとき、そこには必死になって災いを回避しようとする、強迫的な姿があります。邪悪さは、内面の弱さ、臆病さの証として表面化してくるのです。
 そこには、進んで負うべき責任を引き受ける潔さは、微塵もありません。内面に生じた恐怖の暴走を許してしまっているのです。恐れている懲罰は、実際に起こりうる限度をはるかに超えていることも、少なくないかもしれません。恐怖は、その妥当性を評価しない限り、どんどん膨らみ、妄想的になっていきます。


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 自己の内面を相手に投影し、相手を罪に定めて裁き、そうすることによって自分は正義の審判であるかのように見せかけようする『平気でうそをつく人たち』。彼らは反面、権威は従順です。彼らは仮面の人生を生きる人なのです。
 立派な対面や世間体を獲得し維持するためには、人並み以上に努力し、奮闘する傾向があります。地位や威信を得るためであれば、困難にも甘んじ、熱意をもって取り組むこともあります。
 そして、そうやって築き続けてきた社会的な仮面を守ることこそが、一大事なのです。その仮面の下の自らの素顔、欲望を持った一人の生身の人間の姿から目をそらし、他者にも暴かれるのを恐れます。
  欺いているのは、他者よりも、むしろ、自分自身といえるかもしれません。周囲から期待される自己像でなければならないと思い込み、高い評価を期待して、献身する一方で、そうではない評価を恐れています。
 こうした恐怖心に追い詰められたとき、人は自分の闇の部分を背負ってくれるスケープゴートを求めます。追い詰められた心は、目先の利益した見えません。
 不祥事が発覚したとき、「知らない、知らない、知らない」と7回叫び、秘書が、部下が、妻が、勝手にやったと断言する言動がもたらす不利益を、考えるゆとりはないのでしょう。本当のことが聞きたいと、詰め寄ってくる相手は、迫害者に見えてしまうことでしょう。
 反社会性人格障害者ばかりでなく、臆病で、小心で、善良で、自分が人生で手にしたものを守りたい人も、追い詰められれば、平気でうそをつく人になります。
 そういう意味では、人はみな邪悪なのかもしれません。それが、たとえ正義の剣でも、斬りつければ凶器となります。追い詰めすぎない、抜け道を作っておいてあげるのも、人間関係を崩壊させないためには必要といえるでしょう。
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テーマ: 不安定な心 | ジャンル: 心と身体

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