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自己愛的利他心

 他者に親切であることは、もちろん、周囲からの良い評価の対象です。子供の頃、友達には寛容でありなさいとか、優しくしなさいと教えられた記憶は、多くの人にあることでしょう。
 その教えが効を発揮しすぎたのか、「人の役に立つ人間でなければ価値がない」と強迫的な考え方をする人もいます。自分の価値を誇るための善意は、当然のことながら、相手には喜ばれません。
こうした場合には、「自分で考えた相手のため」を相手に押し付け、「自己満足」に酔ってしまいがちなのです。しかも「親切の押し売り」をしていることに、気付いていない場合もあります。
 こうした不本意な親切は不健全です。まず第一に、内心負担を感じています。「こんなに忙しいのに、○○さんに△△をしてあげなければならない。」と感じていると、それが表情にも語調にも滲んでしまいます。その親切を受ける立場に立たされた人は、苦痛を覚えます。苦痛を覚えながらも、「せっかく善意でやってくれているのだから....」と、相手も我慢することになりかねません。善行を与えるほうも受け取るほうも、我慢しているのでは、これはもう善行とはいえません。


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なぜ、そんなに無理をしてまで、いい人を演じてしまうのでしょうか。誰しも、外界からの感謝と、自分の価値を同一視しがちなところはあるかもしれません。これが行き過ぎているとすれば、自己評価が他者依存的に傾きすぎているといえます。ありのままの自分を受け入れられず、低く評価していると、誰かに、誰でもいいから周囲の人たちに、それを否定してほしいと思うのです。周囲からの賞賛を集めることによって、エゴを太らせたいと願うのです。
 ですから、期待通りの評価が得られないと、「あんなに××してあげたのに」「世話になっている分際で!」とキレてしまうことになりかねません。
 親切、善行、奉仕、ボランティア......あなたはその行為から、何を得ますか?いい人、立派な人という周囲からの賞賛ですか。それとも、何かに困っている状態にある人は、自分の優越感を満たしてくれる存在だからですか。
 相手に受け入れられる親切は、相手に対する好意と、そこから発する共感に基づいているものです。
この場合は、その事柄を通じて、互いの距離が縮まります。一方、自己愛的な利他心は、自分しか見ていません。そのために、往々にして、的外れな贈り物をしてしまいます。
 普段は自分本位な人も、恋をすると、自己評価が相手依存になってしまうこともあります。受け入れられたいがために、自慢話が多くなったり、サービス過剰になったり。何であれ、「過剰」は不自然な印象を与え、相手に二面性や下心を感じさせてしまいます。
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テーマ: 不安定な心 | ジャンル: 心と身体

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