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強迫的防衛

 強迫性人格障害(OCPD)の人は、所属する社会の規範や道徳観念に対して、自分自身の経験値や倫理観に照らし合わせて吟味することなく、従順に従う傾向があります。
 これは、『一般的な規範』に従って『大多数の意見』に同調することで、自己判断に対する不安感を防衛しているのです。
 その背後には、自分の判断に対する周囲からの反応への不安を『大多数が認める規範や常識』によって防衛する心理があります。
 「自分ではこのケースは情状酌量の余地ありと思うが、周囲の多数派に抗えなかった。」という場合には、内心に葛藤も残るでしょうが、OCPDでは『自己の判断基準』と『社会的、組織的な判断基準』に温度差がありません。このように、内面的な判断基準と外部的な倫理道徳が一致してくると、OCPDの人の性格に対する評価は、表面的で杓子定規、まじめだが頑固で融通がきかないといったものになってきます。
 この傾向が強くなると、視野の狭い固有のルールで自らを束縛することが多くなります。こうした柔軟性のない頑固さと、温かい人間感情の欠如から、しばしば対人トラブルが起きてきます。
 規範に忠実な自分が善であり、正義であるという意識から、他者に対する不寛容な姿勢が生まれるからです。「規則だから」「常識に外れている」等の理由で、切り捨てられる他者の心情への理解の乏しさもあります。

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一見、良心的に見えることもあります。一般的な社会規範や倫理観、権威性への従順さから、遠目にはそう見えるのですが、それは、他人からどのように評価されているかによって自己評価が大きく変化するという自己アイデンティティの不安定性に基づいています。
 そのため、ルールブックに従って自らを律するのですが、集団のルールを従順に守ることで、他人からの承認や保護、愛情を与えられるであろうという期待があり、依存性の強いパーソナリティであるといえます。
 たとえば、転んだ人には手を貸しなさいとルールブックにあるから、転んだ人に手を貸します。遠目には労を厭わず人助けできる人と、評価が上がるでしょう。ところが、助けた人から期待通りの感謝が得られないこともしばしばです。
 倒れた人の痛みに共感したり、同情するといった相手のために相手に手を貸したという姿勢が、助けられた人には見えにくいのです。自分の姿がいい人に見えるかどうかばかりを気にしている人と映りがちです。共感しているふり、同情しているふりなどの、ふりが苦手なのかもしれません。
 こうした不器用さから、期待通りのものが受け取れないこともありがちですが、そうしたときには、こんなにまで無理や努力をしてやったのにと、一転して敵意や、執念深い憎悪を抱くことになりかねません。
 翻って見れば、何をしても何をしなくても、批判には出会うものです。すると、批判を回避するための、賞賛を浴びるための迎合や従順さには、虚しさが伴うものではないでしょうか。強迫的防衛を脱するためには、開き直る強さが必要といえるでしょう。立場の弱い恋人やパートナーに対して高圧的に出るだけでなく、自らのスタンスとして。
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