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適応・不適応

 わたしたちは社会の中で生活していますから、自分の意見が周囲と異なり、周囲から受け入れられなかったり、非常識だと指を指されたりすることがあると、しかも、その相手が年長であったり、発言力のある人であると、自分はもしかして社会に適応できないのではないかと、不安を覚えることもあるでしょう。
 すると、これは大変だという意識が生まれます。所属する社会に適応できない、浮いてしまうとなると、その一員としては、何かと不都合も生じるからです。
 そこで、水のように、四角い器に入ったら四角く、丸い器に入ったら丸くなろうと努力する人も少なくないでしょう。そんな自分をまるでカメレオンのようだと、思うかもしれません。
 これは、社会や、受け入れてもらいたい個人に受け入れてもらう戦略としては、ある程度成功を収めます。その挙句に、その社会の多数派の意見、社会の常識といわれるものと、自分の意見や道徳意識に差のなくなっている人もいるかもしれません。
 自分の感情や欲求を抑え、本音を言わず、周囲の常識や慣習に合わせ、周囲の要求に応じようとし続けていると、やがて疲弊してしまいます。「良い子のバーンアウト」などと呼ばれます。

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そもそも、社会とは何でしょう。社会とは人類の坩堝です。ひとりひとりが、自らの欲望の充足を目指して、しのぎを削りあってるステージです。往々にして強者が自らに都合のいいルールを敷くのも、この社会です。
 すると、社会のルールに適応するのは、安全と引き換えに自分らしさを売り渡すこととも言えそうです。人は社会から影響を受けると同時に、社会にも影響を与えていきます。人類の歴史は、虐げられた立場にいる人々が、人権を主張し続けてきた歴史でもあります。
 社会に適応しなければならないと考えるなら、社会もわたしに感化されてもいいはず、とも考えられます。そうして社会も成熟していくのです。
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カテゴリ: 認知と癒し

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