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無力感と恋愛依存

 何か困難に遭遇したとき、自分にそれを処理する能力がないと思われるとき、人は無力感に陥ります。サポートしてくれる存在を求めます。そして、その存在に出会えないと、この困難から生涯救われそうもないといった悲壮感を覚えます。そのままでは辛いので、自分の力の及ばないことはそのままに、人生の明るい面に目を向けようと、自分の心をコントロールします。
 これは受容というよりは、諦めの心境です。目を逸らしているだけで、困難という石の下敷きになっていることに変わりありません。こういう状態のときには、依存的な恋に陥りやすいといえます。

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「シンレデラ」は、継母や義理の姉たちの意地悪に対抗できず、耐え続けています。そこに、美しい王子が現れるのです。恋の歓喜と陶酔の他にも、王子がシンデレラに与えられるものがあります。自分にはどうすることもできない現在の境遇からシンデレラを救い出し、その権力の傘の下に入れば、二度と継母からの苛めに会うこともありません。
 シンレデラは恋の対象を求めると同時に、救い主を求めているのですが、そのことをあまり自覚してはいません。依存的な恋は、心身の充足ばかりでなく、境遇の上昇を望みます。相手に幸せにして欲しいと望みます。そのために、相手の意向に添うように振舞いますが、これは計算の上の戦略です。好きな相手に喜んでもらいたい、相手を幸せにしたいという意識は、あまりありません。
 現状の苦痛や孤独から逃れるために、愛して欲しい、守って欲しい、満たしてほしいと、激しく願います。
 これまで、わが身に降りかかる火の粉を払えず、ひたすらじっと耐えてきただけに、救い主として相手を求める想いは、溜まった水が、一箇所開いた小さな穴からほとばしるように激しいものです。
 その人が、社会的なステイタスや豊富な人脈を持っていると、その人は正しく国家の頂点に君臨する王子、全能の神のような存在に見えてしまいます。
 そして、付き合っていく中で、相手が神ではなく、自分と同じように、相手もまた欲望を持って自分に近づいてきたのだと知ると、それは相手の欠点であり、過ちのように思えてしまいます。相手は、教え諭し、育てなければならない未熟な存在となってしまいます。
 何を教え、どう育てるのでしょうか?自分の理想の王子、救世主となれるよう、教えるのです。遠まわしな言動で、相手を操作、コントロールしようと試みます。
 恋愛依存が求めるパートナーは、自分自身の人生を引き受けておぶって歩いてくれるパートナーです。
 無力感に打ちひしがれた心は、一見達観して現実を受容しているかに見えても、深層心理では救い主を渇望しています。そして、恋愛ほど、その幻想を与えるものはありません。
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テーマ: 恋愛依存症? | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: 恋愛依存

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