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罪悪感と攻撃

 恋人やパートナーの態度に傷ついた時、相手との関係性を損ないたくないと思うあまり、我慢して耐え続けてしまうことがあります。たとえば、他の異性と親しげにされると、自分がたいせつにされている思えなくなるけれど、関係が悪化しそうで傷ついているといえないなど。ですが、我慢はいつか限度枠に達してしまいます。
 そこで、よりよい関係を築き維持していくには、自分の心の痛みも理解してもらおうと、勇気を出して切り出すことになります。相手の心と向かい合おうとするのです。
 ところが期待していた謝罪が得られるとは限りません。逆切れして連続花火のように激昂し、収めようとしてこちらから謝罪のことばを口にしても、相手の怒りは収まらず、収拾がつかなくなり、事もあろうに、他の異性のもとに去っていってしまったなどということも起きてしまいます。
 傷ついているといったばかりに、さらに攻撃され、最悪の事態に陥ってしまったのです。まさか、これほど攻撃されるとは、夢にも思わなかった事態です。
「悪かったね、気付かなくて。」
そういってもらえると期待していたのですから。
 それにしても、何故そこまで逆切れされたのか、想像も付きません。理解できるのは、自分は愛されてはいなかった、役に立つ存在として便利に利用されていたにすぎないという思いぐらいのものです。かくて、ますます関係性は壊れます。

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 謝れない心理は、自分に非があったことを知るとすぐに謝罪し、相手に与えた損失を償おうとする人には、なかなか理解しがたいものです。
「もう君は嫌いだ」と捨て台詞を残して、永遠に関係を終わらせてしまおうとするなんて、いったいこの人は何を考えているのだろうと戸惑います。
 
 「君の態度が××だったから、わたしは○○したんだ。わたしの行動は間違っていない。わたしは正しい、おまえが間違ってる。」
 などといわれると、あなたのその態度の何処が正しいというの?まったく誠意が感じられない!と、けんかに発展してしまいます。

 自分の正しさを主張するとき、その高飛車な態度とは裏腹に、人は正しくない自分を自覚しています。しかも、周囲の目にも『有罪』だと写っているだろうと予想しています。後ろ指を差されることを恐れ、そうした事態が起きる前から、すでに孤立無援の攻防戦を必死にひとりで演じているのです。周りを味方につけるためにも、自分は正しくあらねばならないというわけです。
  
 「あなたの運転が不注意だったから、わたしは片足を失った」と訴えられても、失ったものを返してあげられない以上、自分の態度が相手に与えた結果を見るのは辛いものです。そして、「これからは安全運転を心がけて欲しい」という期待と裏腹の結末に陥ってしまうのです。
 大変なことをしてしまったという痛みから逃れようとして、自分にも周囲にも自己正当化し、傷ついた相手が自分を責めてくる敵のように感じて、さらに攻撃を加えるという構図です。
 傷つけた相手から逃げようとせず、相手のために尽くそうとする場合も、それが義務感だけであり、重荷に感じ始めると、恨みが募ります。
 
 よい関係を構築できるケースでは、人は防衛的になりません。自分が相手に与えた痛みや損失に注目し、共感することから、おのずと自分がとる姿勢が決まります。そして、相手はその真摯な姿勢を受け取った時点で許します。賠償できるか否かなどは問題ではないのです。
 心からわびて、心から許せるとき、その関係性は持続するのです。

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テーマ: 不安定な心 | ジャンル: 心と身体

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