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批判屋のプロフィール

 立場や価値観の異なるすべての人から、共感を得ることは困難です。注目を浴びる頻度が高ければ高いほど、誰しも批判を免れえません。
 批判に耳を貸し、冷静に受け入れて考慮するのが大人の取るべき態度だと、子供のころ教えられたかもしれません。ですが、それは、善意や好意に基づいた建設的な意見に限られます。嫉妬に駆られた揚げ足取りやライバルつぶしの批判は、第三者の立場であってさえ、不快な思いをするものです。ましてや、批判屋が至近距離にいる場合、知らないうちに自尊心に無数の傷を負ってしまっている、ということになりかねません。
 
 口を開けば人を批判する人は、それが習慣となっています。勤めたこともない職場を、内情を知り尽くしているかのような口ぶりで語り、よく知りもしない人を、時には会ってさえいない人を、その人柄を知り尽くしているかのように第三者に語ります。そして、手厳しい持論の評価を下すのですが、当然のことながら、的外れです。実情を知らないのですから。
 自覚している、いないにかかわらず、批判することで相手の価値を切り下げ、自分を高く持ち上げているといえます。ですが、話し相手が,それを真に受けてくれる人ばかりとはかぎりません。自らの劣等感の深さを見透かされるリスクを負いながらも、しかし批判屋は批判屋であり続けようとします。

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 幼いころ、両親に他の兄弟と比較され、充分な愛情を受けずに育ったなどの成育歴があるのかもしれません。そのために人に対する不信感が強く、自らの力に対する不安感が強いのかもしれません。そして、批判という武器で他者を制する処世術を選んだのかもしれません。
 批判屋は人のすることに文句やケチは付けても、自分自身は前向きな努力はしません。
 「××大学なんて、なによ。わたしでも入れるわよ。」 
社会人大学生になった知人に高笑いして見せても、決して自分も大学に入ることはありません。相手に羨望や嫉妬を感じるならば、自分も努力して相手に抜きんでればよいだけのことなのですが。
 インターネットを利用して仕事をしている知人には、
「失敗するに決まっているわ。うまくなんか行くはずないじゃないの。」
嬉々として目を輝かせて力説するのですが、そういう当人はPCの扱い方も知らないのですから、あきれるばかりです。常に人に抜きんでたいという意識がありますので、釈迦に説法、その道のプロに道を教える愚行も日常茶飯事です。
 ちょっと愚痴を漏らしただけで、たたみかけるように完璧な失敗を予言された相手は、
「どうやら失敗を切望されてるみたいね。嫉妬されてるとは気付いていたけど、まさかこれほどまでとは...」と、
 その底意地の悪い目の輝きに、ぞっとするものを感じるのです。

 うすら寒くなるような誉め方をした後に、すかさず貶しの蹴りを入れる、相手が何か言えば、すぐさま揚げ足を取る。こうした態度で自尊心の欠如を癒していれば、当然のことながら、相手は距離を置いていきます。
 
  心が平穏であるとき、人はたとえ攻撃に対する反撃であっても、他人に対する陰湿な嫌がらせをして、心穏やかではいられません。持続的にそうした態度を取り続けることはできません。良心の呵責に苛まれるからです。
 批判屋は、決して自分に落ち度があったとは考えません。相手を攻撃できる権利があると考えるのです。「なぜなら、あの人は××だから、わたしが相手を傷つけるのは当然」という理屈です。
 客観的に見て恵まれた境遇にあっても、不安感が強く、不足ばかりに目が行き、充足を感じにくい人と言えるでしょう。さりとて、足りないものを得るために、進んで努力しない人でもあります。そこから、必然的に、恵まれていると判断した相手に対して、嫉妬深くなるのです。
 気の毒に思える面があるにしても、レスキューやカウンセラーを買って出て、深入りしない方が賢明と言えるでしょう。
 批判屋には、次のような特徴があります。
* 親兄弟と疎遠である。
* 職場でよくトラブルを起こしている。
* よく知人、友人を陰で批判する。
* 態度がでかい。ふてぶてしい。とげとげしい。
* 人を見下したような態度をとる。周囲の人たちは、人格的に自分より劣っているといった表現をする。
* いつもぶすっとしたふくれっ面。
* 人の揚げ足を取る。
* 誉めた後に必ず貶す。あるいは決して誉めない。一方で、見え透いたお世辞を言う。
* 言い訳が多い。決して非を認めず、素直に謝らない。 攻撃的になり反撃する。
* 人を批判することに慣れている。それで優越感に浸り、自身の劣等感をカバーしている。
* あなたが嫌いという態度を示すことを躊躇わない。

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