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強迫性パーソナリティの側面

強迫性パーソナリティには、権威者、上位者への過度の従順さという特徴があります。練り上げたプログラムを上司からちょっと意見されると、赤面して戸惑い、上司の意見に従うといった態度で、周囲に「あれっ?」といった違和感を抱かせます。
 「ですが、部長、この場合は.........わたしは........と思います。」となぜ交渉を試みようとしないのだろうか?最終結果はどうあれ、交渉してみる余地はあるのではないだろうか?せっかく自信を持って臨んだプログラムなのだから、と..........。
 こうした一瞬のやり取りに、対立への恐れ、臆病さが見てとられてしまいます。それに対する防衛として、人間関係を上下に考える癖が身に付いているとも言えます。したがって、下位にいると、自分がみなした相手には、傲慢な態度で臨みやすくなります。
 当然のことながら、相手も上下意識を持っているとは限りません。役職として上位にいても、人格としてはフラットだと考えている人々の目には、上に弱く下には理不尽な鼻もちならない人と映るでしょう。

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そこで、役職上の表面的な付き合いを超えた、深い関係性を築くのが難しくなります。支配、服従の関係性を無意識のうちに、私生活にも持ち込んでしまうという傾向が起きやすくなるからでしょう。自分が格下にみられ、服従的なスタンスに置かれる不安感から、フラットな集まりでも肩書きの書かれた名刺を配るといった行動を取ることもあるかもしれません。
  人間関係を上下で考える硬直した認知からは、相手の心情に配慮する共感性や温かさは育ちません。ですが、それがあるかのように表面上見せかける技術は会得している場合も多いでしょう。一見、明るく、物わかりよく、温厚な人と評価されていることも少なくありません。いわゆる外面のいい人です。
 ですが、その内面は物事をネガティブに捕らえやすく、過剰な恐れを抱きやすく、変化に怯えやすいいといえます。自分の目で目の前の状況を見、どうするのが一番いいかを考えようとせず、権威者の意見、常識、慣例といった指針を頼るのは、間違う事、批判されること、責任を負うことへの恐れからでしょうか。
 レールから落ちることを恐れ、必死になってしがみつくと、実際、落ちる可能性は少ないでしょう。その結果、レールから落ちても、そこにあるのは破滅ではなく、そこにも人生があり、決められた安全なレール上を歩くだけの人生ではなく、藪を踏みしめて歩くゲリラ的な人生もあるのだという経験を積むことはできません。積みたくもないでしょうが.......。
 正義や大義で背骨を支えるのは、そうすれば決して間違いがないという信念からでしょう。マニュアルどおりに考える人は、そのマニュアルを持って、人をその基準に従わせようと操作し、それに従わない相手を裁くことには、良心の呵責を感じません。そうした相手を抹殺することさえ、正しいことだと考えます。
 相手の感情や人格としての尊厳にまで非人情になれるのは、自らもまた、感情にふたをして生きてきた経緯があるからかもしれません。まず、それに気付き、自己の過去の痛みを癒していくことから始めるといいのかもしれません。
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