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カルト・アイデンティティ

 カルトとは本来、熱狂、崇拝を意味することばですが、強固な信念を共有する、熱狂的、閉鎖的な集団、特に宗教団体を指して使われています。
 心の居場所をなくしているとき、人はカルトからの誘いを受けやすいといえます。所属する社会での人間関係がうまくいかないとき、無条件でそうした自分を受容してくれる場所、帰る場所があればよいのですが、 自宅に帰っても「あなたの態度が問題だ」などと非を突かれては、心の安らぐ場所がありません。
 こうした状態にあるとき、その団体の信徒が力になってくれると、そこに居場所を見出してしまうのも無理からぬことです。他の社会では尊重されず、親との関係もうまくいかず、そこにしか居場所がないという人もいることでしょう。
 何かができる、何かの役職に就いている、そうしたアイデンティティを持たない人を、団体は好んで引き受けようとします。心身の障害を持っている人、またはその家族、そのために差別観や疎外感を感じていたり、自尊心を保てずに悩んでいる人、さらに、人生の意味を教えてくれる指導者を探している人、若く、素直で、相手の説く世界観を受け入れやすい人は、要注意です。

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人は、ある程度の年齢に達して、さまざまな経験を積み、人間について、あるいは生きているということについて、歴史学や文化人類学、生物学、心理学といった見地からの統合された視点を持つとき、もはや、怪しげな教義に操られることはありません。若ければ若いほど、永遠に変わらぬ愛や、『常』を越える力で自らを変えることへの希望が強いといえます。
 その団体に属して、見違えるように元気になることもあるでしょう。それまで思考の袋小路に入り込んでいたところを、仲間を得ることによって、また、その教義を受け入れることによって、楽天的思考を持つことができるようになったといえます。
 低い自尊心やコンプレックスのためにうずくまっていた心が、生き生きと胸を張ります。「わたしたちは神に選ばれた存在であり、教義を受け入れない外の世界の人たちは、人格として劣った存在である。」といった差別意識がその根底に横たわっています。差別される側から差別する側に回った虚構の自尊心と言えるかもしれません。
 すると、ますます、このアイデンティティで脆弱な背骨を支えてしまいます。熱心な信者であればあるほど、自らの信仰を絶対視し、部外者には不寛容で、他の宗教の信者や無神論者と激しく対立し、諍いを起こします。
 一つの概念を、唯一無二と絶対視することは、精神の健康に有害であるばかりでなく、社会悪を生み出す土壌となるのです。
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テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: カルト

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