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憎しみを手放していく

 「かわいさ余って憎さ百倍」ということばがあります。怒りは期待に応えてくれない相手への抗議であり、愛情や好意を抱いている人に対する憎しみは、もらえない愛情の故に生じてしまう激しい情念です。
 好きな人の頼みごとなら、少々不本意でも、無理をして引き受けてしまいます。相手にとって、特別な存在になりたいという期待があります。その人しか見えない、大勢いるはずの人の群れの中で、唯一その対象にだけスポットライトが当たっている状態、それが恋です。その人の傍らで生きることだけが、この世に存在する唯一の幸せと思えます。他のものは、全てガラクタでしかありません。
 すると、その唯一の幸せのために、どんどん自分を捧げてしまいます。けれども、それに見合うものが返ってくるわけではありません。むしろ、相手の心が冷めたり、軽い存在になっていってしまうことも多々あります。すると、ますます、ありったけをつぎ込んでしまうという事態に発展してしまいます。
 報われない期待、失意、悲しみが、相手のつれない態度への非難を呼び込みます。
「わたしと同行しているとき、他の異性とばかり話しこまないでほしいの。無視されると、とても辛いから。」
 そう告げた時、振り向いて、
「悪かった。そんなに傷つける行為だったとは気付かなかった。」
といってくれるようなら、その関係は維持されます。
 「誰と話そうが私の勝手だ。いちいち、君に遠慮することじゃないだろう。」
というようなら、修復の余地はありません。
  ですが、相手のために犠牲にしてきたことが多いと感じている場合には、素直に心変わりに納得できません。相手の人格や人間性まで非難する泥仕合にもつれ込みかねません。

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 人の心の痛みは、相手の立場に立ってみなければ解りません。振る側の心理は、自分も振る側になってみればわかります。
 顔見知り程度の知人から、頻繁に電話がかかってくる、頼みごとをされる。あまりかかわりたくないので、やんわりとかわすと、ある日突然の電話で、激しく抗議され、罵倒され、その人の知る由もないこちらの仕事の内容や生活態度を非難され、人格否定までされてしまう。
 この人は一体何なのだろう?首をかしげてしまいます。
   「あなたに関係ないことだろう!事情を知りもしないくせに!ほっといてくれ!」
そう叫びたくなります。
 数日後、「また逢いましょう」というメールが届いて、びっくりです。こちらはもう、二度と電話にも出たくないと思っているのに!
 すると、度の過ぎた頼みごとの数々も、期待の故だったということでしょうか。お近づきになりたいという思いを、頼みごとでしか示せない人なのでしょうか。そして、裏切られた期待は、容易に非難に変わり、そこには、相手に対する配慮が微塵もありません。

そして、これは、あの日あの時、心の離れてしまった誰かに向けて放ったセリフ。
「あなたともっと深く向き合いたいから、最近のあなたの冷たい態度が辛い。」
そういえば、態度を改めてもらえると信じていた。そうしてくれない相手を責め、そして、相手にとって、絡みついてくる厄介な存在になってしまった......。
  相手が配慮を怠っていると感じる時、それは相手にとって配慮に値しない存在と認識されている時。それを非として責めたところで、望む配慮は得られません。相手との適切な距離を測りなおす時と言えそうです。
  恋は容易に「この人しか見えない」状態を生み出してしまいます。それ故に、生きていることがいやになるほどの痛手を被ることもありますが、その痛手から立ち直るとき、一回り成長していることでしょう。

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テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: 失恋の処方箋

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