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苦しむ恋

 
 恋に落ちた相手がシングルだとは限りません。相手に家庭があると知ったとたんに、そうだったのかと引き返せるなら、苦しくはなりません。ですが、恋はその人だけに執着する感情です。往々にして、すんなりとは断ち切れません。そして、真剣にればなるほど苦しくなります。
 オンリーワンになれないことを承知の上の恋だからです。この場所だけでの付き合いでいいと、初めは納得しています。ところが、次第に、この人の心を一番理解しているのは自分だという自負心も生じてきます。そして、相手の心の中で、自分はどういう存在なのか、どの程度愛されているのか、はたまた利用されているだけなのかと気になり始めます。
また、この恋は孤独です。共感される見通しがないので、迂闊に打ち明けられません。相談すれば、倫理観から非難されるか、不毛さを指摘されて、馬鹿にされかねないのです。
 土曜日の夜に一緒に夕陽を見て
「見てごらん、きれいだね」
と言ったその人が、日曜日には妻と出かけたと知って、悲しみに打ちひしがれても、誰にも言えないのです。

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もう少し、近くにいたいと思うようになると、家庭のある人はうっとうしさを感じる様になります。何故なら家庭を壊すつもりなどさらさら無いからです。
 既婚者の婚外恋愛は、家庭不和の故に始まるわけではありません。むしろ家庭が安泰であるからこそ、平穏な日常であるからこそ、ちょっとした非日常的刺激を、そこに求めることが多いものです。したがって、相手が本気になること、それは危険を告げるシグナルなのです。
 そして、動力を払わなくとも愛されるようになると、関心の対象は他へと移っていきます。家庭のある恋人の愛情を獲得したいものは、この気配に敏感です。これは一大事とばかりに、なけなしの財産を差し出そうとします。皮肉なことに、そうすればするほど、その献身は価値のないものとなり、うっとうしいものとなり、ついには脅威にまでなってしまいます。今持っているものを失うかもしれないという不安を抱かせてしまうのです。
 その不安とは、社会的制裁を受けることへの恐れです。婚外恋愛への寛容さは、職業や住んでいる社会によっても異なりますが、概ね現在の日本社会では寛容とは言えません。 この社会的制裁への恐れは、昨日までの恋人を、一変して敵と認識させてしまいます。すると、罪悪感を免れるための構図を、組み立てることとなります。自分はその気はないのに、相手が一方的に押してきて困っているというふうに。そして、そのストーリーを周囲に納得させようとします。防衛本能のなせる技と言えるでしょう。
したがって、自分の生活や、社会的地位を少しでも揺るがしそうな気配があれば、直ちに相手を切る事をいといません。それも、誘惑をきっぱりと退け、家庭を守るという大義名分のもとに。
   芸能界をはじめとして、周囲を見れば、離婚し、婚姻中に交際していた恋人と再婚する事例は珍しくないかもしれません。とはいえ、それは低くはないハードルです。越えられる人は多くはありません。

 その人しか見えない、その人との穏やかな未来を望んでいる状態のとき、その恋は苦痛しかもたらしません。その苦しみから逃れる最良の手段は、逢わないことです。状況や相手をコントロールしようとして、逢えば逢うほど傷を増やしていくことになります。
 愛情の薄さをなじったり、自己防衛から、自分を大切にしてくれる人を踏みつけにしたり、泥仕合を演じてしまうのは、お互い、人の心に対する認識が乏しいままに、安易に始めてしまったが故と言えるでしょう。誰のせいでもありません。自業自得として誰も恨まず、楽しかった思い出には感謝しましょう。
 後になって、お互いフリーの状態で始まった恋よりも、より深い認識が得られたことに気づくかもしれません。
 そして、苦しい恋を二度と繰り返さない覚悟も。

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テーマ: うつと恋愛 | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: 認知と癒し

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