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苦しむ人間関係

 気の合う友人との触れ合いは、多くの喜びをもたらしてくれます。時に、立ち直れないほどの傷心から、再び生きる勇気を得るのも、こうした他人の力のおかげです。
 一方で、多くの悩みをもたらすものもまた、人間関係です。「もうたくさん!無人島に住みたい!」と叫びたくなることもあるでしょう。どこにその相違があるのでしょうか。
 
 長くいい関係の続いている友人には、特徴があります。その人は、へまをやって凹んでいるとき、その傷心にフォーカスして、慰めたり励ましたりしてくれるでしょう。こちらの落ち度を知っていても、そこを突いたりはしません。ここを突かれると、失敗で落ち込んでいるうえに、さらに追い打ちを掛けられるのです。失敗で揺らいでいる自尊心が痛手を受けることになりかねません。
 
傷つく人間関係では、相手はこちらの落ち度を鋭く指摘してきます。「そんなこともできんのか!」と事務所中に響き渡る大声を張り上げるパワハラ上司は、その極みです。家族や交友関係の中にも、こうした人たちは存在します。心の奥底に隠している劣等感をぐさりと突かれて、夜も眠れないほど落ち込んだり、相手のように暴言で切り返せたらどんなにいいだろうと、自分がふがいなく感じたりもするでしょう。

 こうした人たちは、刀を抜いて、相手の自尊心に切りつけているのですが、必ずしも本人が加害意識を持っているとは限りません。「ホントのことを言って何が悪いの?」「問題点を指摘してあげただけ」というのが、相手の言い分だったりします。
 それが相手のためだと信じ切っている場合もあります。親が子供の人格を否定して、矯正しようとしている場合などです。よもや心理的虐待に当たるなどとは、思ってもいません。

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*自分と違う価値観を持つ相手は、その人の人間性が未熟であり、あるいは間違っており、従って、正しいあり方に、相手は成長、変化するべきだ。
 *それには相手の現状を指摘し、批判する必要がある。
 人格批判する人は、上司や親ならずとも、対する相手にこうした姿勢で臨んでいるといえます。I'm OK You are not OK の状態です。半端な自信が支配、コントロール嗜癖に陥りやすくさせるのかもしれません。
 宗教の伝道者なども、こうした考えに陥りがちです。一般の民は人格として劣った不道徳な存在なので、道徳的な生き方ができるように導いてやらねばならないというわけです。 
 当然のことながら、これでは受け入れられません。それがいかに、的を得た指摘だったとしても。いえ、的を得た指摘だったからこそ、なおのこと。
 相手を否定し、相手の感情を害して、受け入れられる道理がありません。自分の考えを受け入れてほしいなら、まず相手を批判することなく受け入れることです。叩くだけの批判から友好関係が生まれることはありません。そこで、相手からの批判に傷ついた人は、平気で傷つけてくるその相手に対して、人格批判がいかに不毛で、破壊的であるかを教え諭さねばならないと考えます。人を裁く人を裁き返そうとするのです。 
   *自分と違う価値観を持つ相手は、その人の人間性が未熟であり、あるいは間違っており、従って、正しいあり方に、相手は成長、変化するべきだ。
 *それには相手の現状を指摘し、批判する必要がある。
 横柄な相手に立ち向かおうとする人もまた、この論理で動いています。そして、どちらも相手の望み通りに変わることなどできません。
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カテゴリ: 認知と癒し

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