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モラルハラスメントへの対抗

 人生の比較的早い段階で、モラルハラスメントを受けると、他人は自分を傷つけるものという概念が身についてしまうことがあります。いじめっ子集団から離れた後も、この人間不信の後遺症に苦しむ時期を持つ人も少なくないでしょう。
 大人社会にも当然モラルハラスメントはありますが、本音と建前を使い分けない子供社会のほうが、より深刻です。また、大人には最終選択として転職の自由がありますが、義務教育では転校が難しいのも事実です。そして人格の形成期であるだけに、後々まで影響を及ぼしかねません。
 小集団の中でモラルハラスメントが深刻になるのは、誰かがひとりをターゲットとして選び、モラルハラスメントを始めると、集団の中でそれが許可されるのです。「あいつは虐めていい存在」として認識されるようになります。
 ひとり対集団、多勢に無勢の構図が出来上がってしまうと、その環境はまるで生き地獄のようになってしまいます。これでは、他人とは自分を迫害する存在であると学習するのも無理はありません。

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あえて危険な場所に身を置くよりも、孤独に生きる方が快適であると感じるでしょう。思い詰めて校舎の屋上から飛び降りるよりは、不登校を選ぶ方がはるかに健全です。とはいえ、教育の多様性のない日本では、そうすることによって失うものも少なくありません。
 この時期に大切なのは、生きる場所が学校と家庭だけに限定されないことでしょうか。
塾や近隣、親せきといった所属する社会の多様性が、自尊心の低下から守ってくれるでしょう。
「虐められる側にも問題がある。虐められやすい人はどこへ行っても虐められる」とは、かつて問題視された発言ですが、どこへ行っても必ず虐められるなどということは現実問題としてあまり起こりえません。これは被害者のみに責任を転嫁し、暴力を容認する集団心理への考察が排除されています。
 所属する社会が一つしかないと、そこからの拒絶は、問題が自分だけにあるように感じて、致命傷になりかねませんが、多様な世界を持つことによって、危機感は軽減されます。
 また時間的展望を持つことも大切です。学区に縛られた対人関係は、たかだか数年で解体されます。また、成長期であるだけに相手集団も成長し、ひとりをターゲットにしたモラルハラスメントゲームは、いつの間にか、消失してしまうこともあるでしょう。

 最後に、忌まわしい場所を少しでも居心地のいい場所に変えるための戦いが残っています。孤立している時には、周囲は一枚岩のように感じがちですが、実際にはそうではありません。加害者の仲間と思われる人たちの中に、自分に共鳴してくれる人がいないとは限りません。多勢に無勢なら、相手集団の中から、人材を発掘していくのです。それにはまず、笑顔と、挨拶から。
 傷ついているときには、うつむきがちです。自分を攻撃する人たちには、挨拶もしなかったかもしれません。なるべく攻撃されないように、目につかないように、縮こまって歩いていたり、あるいは周りの人たちに心中を察してほしくて、慰めを得たくて、涙ぐんでいたかもしれません。

 介抱してもらうことへの期待をあきらめた時、人の心には不思議と強さが生まれます。疎外し、挨拶もしてくれない人たちに元気よくこちらから挨拶するような強さです。周りはぎょっとして振り返るかもしれません。挨拶を返してくれないかもしれません。
 期待した変化は、すぐには起きないでしょう。それでもいいのです。時間はかかりますが、波長の合う人から、徐々に親交が生まれていくでしょう。もっとも、最初から敵対的な人は、いつまでもその態度を変えないかもしれませんが、それでもいいのです。その人はそういう人なのですから。すべての人に好かれることはできません。ですが、中間にいる人たちを、相手の仕掛けるゲームに同化させないすべを今学んだのです。
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