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失恋からの回復

 もしも、あの日あの時、あの場所で、あの人に逢わなかったら、こんなに不幸になりはしなかった。もしも、時を戻せるなら、あの人に出会わない、出会ってしまったとしても好きにはならない、そういう人生を生きたい。そうすれば、こんな苦しみも悲しみも知らずにいられた。
 ひとり、涙にくれながら、何度、そう心に叫ぶことでしょう。親密な男女関係は、程度の差こそあれ、すべて依存症だといっても過言ではありません。したがって、失恋からの回復は、依存症からの離脱に似ています。
 必要とする対象を失った人の脳は、渇いて水を求めるような激しい渇望に悶えています。仕事をしていても、道を歩いていても、テレビを見ていても、常に相手のことを考えずにはいられません。相手が踵を返して去っていく以前の、あの日に戻ることを願い続けます。
その人がどれほど不実であったかを目の当たりにしても、なおも、自分を拒絶した人を切望するのです。少し距離を置いて、はた目には冷静さを取り戻したかのように見えても、再会すると、また元の木阿弥になってしまうことも多々あります。さらに距離を開けたとしても、一瞬にして隔たっていたはずの時間が繋がってしまうことも珍しくありません。渇いて水を求めていない人には理解できないほど、その渇望は激しいのです。

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 それでも、離れて過ごす時が長くなるにつれて、愛着に関わる脳の領域、尾状核の過活動は静まっていきます。その時までの長さには個人差がありますが、いずれ時がすべての傷を癒すのです。
心を切り裂き、打ち砕いた相手の言動の一つ一つが、もうかつてのように鮮明に蘇らなくなります。そして、涙に暮れていたころには蘇らなかった、楽しかった出来事が、ふっと脳裏に浮かぶこともあります。
 「ありがとう。私の人生の一コマを飾ってくれて。」
自然にそうしたことばが浮かびます。
 とはいえ、苦しかった体験を美化するわけではありません。苦痛を伴わずに経験から学べる時が来たのです。
 たとえば、恋に落ちるということは、一瞬にして相手の異性としての魅力に心を奪われることですが、大脳辺縁系の直観だけでは、ともに寄り添う相手として相応しいかどうかは解りません。
 また、愛されているという慢心が、いかに人の心を増長させ、相手の痛みに鈍感になるのかを、その人の態度の中に見て取って、自分もまた、他の誰かに、同じ痛みを与えたのではないかと、自らの未熟さを振り返る機会にもなるでしょう。人間というものの本質にも肉薄し、より良心的に考慮する自分への脱皮していくことでしょう。
そして、もう、あの頃のような恋はしないと思える、それがその経験から得られた収穫です。
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テーマ: 癒し・ヒーリング | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: 失恋の処方箋

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