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傲慢と自己愛の障害

 しばしば暴力的な言動で、DVやモラハラの加害者像として登場する人格に、自己愛性人格障害があります。ここでいう人格障害という概念は従来の精神病質とは異なり、実年齢がいくつであろうとも、一定の未熟さを脱しない人格といえます。
外面の柔和さと、内心の怒りの閾値の低さに乖離があり、親しくなるにつれ、そのジキルとハイドのような二面性に驚くこともあるでしょう。そうした影の部分は、表面上は尊大さや傲慢さとして見えていることも少なくありません。
傲慢の背後には、小心や臆病といった心性があります。自らもそれを自覚して、劣位に立つまいとする気負いが傲慢を生んでいるといえそうです。
 したがって、侮辱されたと感じるような場面には、たとえそれが些細な行き違いであっても、激しい怒りの衝動を生じやすいのです。
 衝動のままに怒りをぶつけるか、あるいは社会的ひきこもりで防衛するかは、対峙する相手によっても異なりますが、基底には小心が生む過剰防衛があります。
相手を劣位のものと位置付けると、退路を塞いで徹底的に『正義』の制裁を加えます。それが暴力に値するなどという認識はありません。その『正義』の正体が軟弱な自己を防衛しようとする欲望であることも否定します。そのために、正義は客観的にも正義であらねばなりません。
 それを正義とするために、自分が言ったことを相手が言ったこととし、あったことをなかったことにする欺瞞と否認にも塗れています。
 非常な傷つきやすさと、他者の非難を怖れる誇大な自己像がその中核にあります。
自らの小心臆病を恥じて、立ち向かおうとする気の強さが、その方向性を間違えて、弱い相手や、自身に対して好意的な相手に向かいやすいのが自己愛障害の特徴といえます。

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また、周辺にその自己愛障害を支援する人がいる場合もあります。内面の欲望を封じ込み、聖人を演じるとそれを賞賛する人が傍らにいると、承認が欲しいばかりに、仮面を脱げません。自己愛の障害は共依存として浮上する場合もあります。自己愛障害のある人は、賞賛を真に受ける純粋さがありますから、容易にコントロールされる傾向があります。
 非難や脅迫と賞賛の飴と鞭で、自分に都合のいい『正義』を遂行させようとするコントロールに気づきません。
 自己愛障害は、自己愛が過ぎて傲慢になっているわけではありません。むしろ、人間本来の当然の感情を持った自己を怖れ、理想像を演じてまで他者からの承認を欲している、息苦しい状況にいるといえます。
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