Sponsored Link

DVな恋人の素顔

 私たちは、誰しも、つい感情的になって、身近な誰かを攻撃してしまうことがあります。そして、冷静さを取り戻したときには、どっと疲れを感じます。自分の取った言動に対して、自己評価が低下してしまうからでしょう。言いすぎてしまった、傷つけてしまった、そうした後悔です。
 ところが、決して後悔しない人もいます。相手が悪いのだから、自分には相手を攻撃する権利がある。謝る理由なんかない、という論理です。相手が傷ついている姿を見ても、良心の呵責を感じません。
間に人が入って、自分がどう正しいのか、相手がどう間違っているのかを検証してみようと提案しても、それには応じません。絶対に自分が正しく、相手が非難されるべき存在であるという姿勢が、ほんの少しでも崩れる可能性のある話し合いの場になど、付けないのです。そう、彼は、絶対に自分が正しくなければならないのです。
 こうした態度を、自分に対して好意や愛情を示してくれている対象に向けるのがDVです。このようにして、木っ端みじんに叩かれると、「わたしは愛されていない」と感じないわけにはいきません。では、愛されているのはAさん?Bさん?わたしは愛されていないけれど、きっとあの人は愛されている......
 ライバルがいる場合には落伍者になった心境ですが、はたして選ばれた人は勝利者でしょうか。

Sponsored Link

 正しい、間違っているの論理にこだわる人は、傍らにいてくれる人の痛みに共感するということが殆どありません。
 もうそろそろ自分の癇癪の炸裂ぶりを反省してくれるかと期待しても、それは見事に裏切られてしまいます。このような人の基本的な特徴として、自分は相手よりも優れた人間で、常に正しい判断を下してると考えています。傍らにいて、わけもなく見下されているようだと感じることも多いでしょう。自分の方が優れているのだから、相手が自分の考えに同意するのが当然だと思っています。相手の心境を理解しようなどという気遣いは、全くありません。相手が傷ついていることすら、気付かないでしょう。
こうした横柄な態度の裏に、実は、不安感が潜んでいます。完璧な自己像が崩れ、周囲からの評価が下がってしまうことへの怖れです。周囲からの評価を失わないために、ひたすら正しい自分を主張して、弱い相手や好意的な人にさえ、いえ、そういう相手であるからこそ、攻撃して、配下に置き、上下関係を築こうとします。男尊女卑な環境で育ったせいか、相手とそもそも平等であるという観念が持てません。たとえ、出会ったころ、フェミニストを装っていたとしても。
相手を傷つけても自分が正しいという周囲からの評価を守りたいDVな恋人と、なんとか折り合って、優しい人に変わってもらいたいと願うとき、被害者は悩みます。
スポンサーサイト
テーマ: 壊れそうな心 | ジャンル: 心と身体

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する