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疲弊と救世主願望

 「がんばろう、日本!」
などといわれても、何をがんばれというんだ、これ以上!!と、返したくなる人も多いのではないでしょうか。
 この混沌とした状況の中で繰り広げられる政界のドタバタ劇は、日頃政治に無関心な人々の口さえも、唖然としてあんぐり開けさせてしまったことでしょう。
 原発事故の影響は、自己保身に汲々とする人々の間で過小評価され、専門家の発言までもが、業界寄りではないかと、疑わしくなるほどです。ひとり一人が自己責任で正確な情報を集め、判断を下さなければならない、そうした局面に差し掛かっているといえます。
 できるだけ早く、できるだけ遠くへ退去するのが最も安全なのはいうまでもありません。ですが、それが可能なのは、ごく一部の恵まれた人たちだけでしょう。多くの人々にとって、別の世界で別の人生を生きるのは容易ではありません。環境がどう変化しようと、そこに留まり、そこで生きるしか選択肢がない人も大勢います。
 不安を抱え、しかも、それを払拭できないとなると、人の心は次第に疲弊していきます。これからの人生の中で最もましなのが、不意打ちにカタストロフが襲いかかってきた今この時で、今後、さらにじわじわと状況は悪化していき、蝕まれていくばかり、もうかつての幸せな時代に戻れない、そうした究極の絶望を自覚すると、人は少しずつ、未来から目をそらし始めます。今日という日を、平穏に、何がしかの喜びを見出して過ごしたいと思うようになります。先のことは考えたくないのです、恐ろしくて。

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 はた目には、困難な状況に置かれた気の毒な人と見えていても、当事者は今日の食事に満たされて、ささやかな幸福感を感じていたりするのです。それでも、夜中に目を覚まして、明日のことを考えると恐怖に打ちのめされます。そこで、意識から「明日」を締め出してしまいます。そして、やっと安堵するのです。
 自分の力で運命を変えられそうもないと知るとき、諦めを受け入れようとするとき、人はただ流されるに任せようという心境になります。そして、流されながら、心のどこかで救世主を求めています。はかない希望だと知りながら。
それは、強いリーダーシップを発揮して窮地を救ってくれるカリスマ・リーダーの登場かもしれません。ですが、そうした依存心は、たいていの場合、高くつきます。政治が無能化した後に、一国が独りの独裁的支配者の手に落ちるといった展開を、歴史は幾度も繰り返してきたのですから。
 救いを求めすぎると、その代償は主権を手放すといった、大きなものになりかねません。幸せを求めて悪しきものを引き寄せないように、どういう状況下であろうと、見極める思考力を手放さないようにしたいものです。
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カテゴリ: 認知と社会

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