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基本的不信感

 「人はパンのみに生きるに非ず」といいます。パンのみでは、人の心は飢えるのです。人の心を弾ませるには、ポジティブな、「愛」という栄養素が必要です。愛の少ない世界の住人は、他者や外界に、基本的信頼感が持てません。たとえば、他者の言動の裏側に、表現されていることとは正反対な意味を読み取ろうとしたり、不信感や被害意識を強めたり、心をオープンにできません。愛の対極にあるもの、それは怖れです。
 幼少期に、無条件で受け止められる経験を積まなければ、人は基本的信頼感を形成できないともいわれています。ですが、親は育児や教育のプロではありません。たいていの場合、多少の不都合はどの親にもあり、誰しも幾何かの基本的不信感を持って、社会に出ていくことになります。
 この基本的不信感があると、人は好まれる自己像を演出しようとします。その社会、その場所で自分に期待される役割を演じるのです。その仮面と、自己の真意が隔たると、苦しくなります。

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これは、自分に対する愛情の不足と言えるかもしれません。孤立を恐れ、他者からの承認を求めるあまり、自分自身の感情をないがしろにしているのです。不快な感情が湧き上がってきた途端に封じ込め、他者の言動をなるべく良い方向に位置付けようと苦慮したり、うまくいかないことがあると、自分の不手際を心の中で激しく叱責したりします。
 こんなときは、自分の労をねぎらってあげる方がいいのです。他者の動向は、自分の努力の指の間から滑り落ちてしまうことが多々あります。コントロールしようとしてしきれるものではありません。多くの経験を重ね、老成した人でも、すべての人間関係を難なくこなせるわけではありません。
どうしようもなくやるせない夜には、自分自身に対して、こう囁きます。
「私が傍に居る。たとえすべての人が去ってしまっても、わたしがあなたの傍に居る。」
 不用意に自分を傷つけた人、自分の目には理解しがたい人がいたとしても、その人の抱えている深い奈落が見えていないだけなのかもしれません。そこに自分の想像力が及んでいないだけともいえます。
 不完全な自分を受け入れた時、不完全な相手もまた許せるかもしれません。
 
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カテゴリ: 恋愛依存

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