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他人という鏡

 他者は自らの姿を映す鏡だといわれています。そのために、他者の目にどう映っているか、時折気になることもあるでしょう。
 ですが、自己を知る信頼を他者に委ねすぎると、翻弄されてしまいかねません。他者という超自我が自らの判断の基準になってしまうのでは、自分を見失ってしまいます。
 自己愛に障害があると、よい評判を得るために衝動を我慢するといった、中心志向型のライフスタイルを選びやすくなるようです。誉められるために、輝かしいバッチのために、常に走り続ける生き方です。
 人から賞賛をもらえそうな仕事を求めて奔走し、それが得られないと憤慨し、一方で見え透いたおだてを真に受けてしまうといった傾向が、発達障害にはありがちです。

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 他者という鏡は、そもそも一部分しか映せない鏡でしかないのです。鏡それ自体が身勝手で、歪みもあります。正確な評価を望むこと自体、無謀と言えます。
 世の中の価値観は人それぞれであり、また時とともに少しずつ、ある時は一気に変化してゆくものです。これさえ守っていれば大丈夫と思っていたその規範や概念が、非難の対象となる不条理にも満ちています。
 人が当てにならないとすれば、未来永劫変わらない真実は何処にあるのかと、傷ついた自己愛を抱えた人は、また探し求めることになります。他人という移ろいやすい鏡などではない、永遠に不変のただ一つの真実なるものを。今度もまた、自らの外側にマニュアルを探すのです。
 この世のすべては相対的なものです。自らの想いや信念もまた、明日には移ろっているかもしれません。
 永遠の愛を求めなくなること、それが成熟へのイニシエーションと言えるでしょうか。
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