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被害者意識

 修正不可能な重篤な被害妄想とは異なり、被害意識は日常の中で、誰しも経験する可能性があります。どういう場面でそうなりやすいかというと、相手や周囲との信頼感が培われていない場合、そこはかとなく疎外感を感じながらも、協調性を持って、打開しようとしている場面に起きやすいかもしれません。
 そうした場面では、自分の意見や欲求を抑圧して、周囲に同調することによって、絆を築きたいと考えがちだからでしょう。望まないことも、周囲の指示や期待によって、しなければならないこともあるでしょう。常にストレスがかかっている状態です。
 そのうえ、自分の行動が、周囲の満足のいくものになるとも限りません。不足を言われた場合など、「じゃあ、もうやらない。自分でやれば!」と言いたくもなるでしょう。それも言えないとなれば、させられ感に鬱憤が溜まります。やってあげて、叱られて。では、たまりません。
 こうした状況では、『郷に入れば郷に従え』を戦略として実践している過程にあるのだと、自覚しておく方がいいのかもしれません。そうでなければ、なぜ私が叱られねばならないのかと、不平を募らせることになりかねません。
 努力の甲斐あって、周囲が仲間として受け入れてくれ、足場も固まり、疎外感を感じるシーンが少なくなれば、被害感も消失していくことでしょう。

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 新しい集団に入った時、新しい人間関係が始まった時は、試行錯誤の連続です。そして、受け入れられたいという思いが強いほど、わずかな否定の気配に、敏感になってしまいます。
 そうならないためには、愛されたい、受け入れられたいという、受け身のポジションばかりでなく、この人の為に何ができるだろうと考え、相手の笑顔を喜びとする、与える姿勢が必要です。
共感し、寄り添ってくれる人がいることは、大いなる喜びです。ですが、なんだかあなたは私に冷たい。仲間外れにされているような気がする。私の寂しさを解って!もっと愛して!と、要求を出すばかりでは、状況はよくなりません。
 受け入れられたいから、相手の要求を「させられている」のは、相手に愛を求めるだけで、相手への愛がありません。
 日常の中で生じる些細な被害意識は、心が受動的に傾いているイエローシグナルです。そのままでは望みがかなわない、相手にとって重い存在になっているサインでもあります。
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