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安全神話

 遠くの街を災難が襲ったと、風の便りに聞き及んでも、わたしたちはわけもなく安心しています。その波は、ここまでは及ばない。その風は、ここまでは吹いては来ないと。
 隣家の、まだ若い主や、当然未来にあふれているはずの子供の訃報に接しても、明日は我が身だとは考えません。ただ、気の毒だと同情するばかり。いえ、それすら、しないかもしれません。
 自重しなかったからだと、誰からともなく批判の声も聞こえます。利害の対立があった場合など、安堵する人もいるかもしれません。天罰だと考え、当然の報いだと内心、嘲る心もあるかもしれません。葬儀の席から帰宅すると、いえ、葬儀の席に付いているときでさえ、自分たちの日常の話題を和やかに交わしたり、葬儀の手順に不満を漏らしたり、この世にあることのはかなさに、思いをはせる人など、いないのかのようです。
 災難はいつも、自分や、自分たち家族の外側に起きる物語なのです。『私だけは特別だ。わたしは、まだ若いパートナーや子供を失うようなことを知らない人生を送れる。』誰しも、そのように思っています。安全の中で楽しむ日々が長く続くことを信じています。脳は不安に翻弄されないために、根拠のない楽観に甘んじるようにできているのです。

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ですが、人生の困難は、誰かを特別視して、避けて通ることはありません。人生には三つの坂があると言われます。上り坂、下り坂、まさかの坂。それは、ある日、突然、唐突に襲ってきます。まさか、わたしの人生に、こんなことが起きるなんて!!
 災いが襲いかかるとき、それを払いのけるすべはありません。これまで、日常駆使していた知識も知恵も、それを防げません。
 ある日、突然もぎ取られるように、失われていった命を、誰も蘇らせることはできません。その日がいつ来るのか、いつ動かないはずの大地が動くのか、知らないでいるうちに、運命の日は、密やかに忍び寄っていたと、後になって振り返るときに解るのです。
 人は運命に翻弄され、疲れ果てると、希望を、それを与えてくれる人を、求めるようになります。よく当たる占い、よく眠れる薬、痛みを聞いてくれるカウンセラー、人生経験豊富な年長者のことば、友人の笑顔。
 何よりも、安定した安全な日常が、欲しくなるのかもしれません。周囲がそれを与えてくれることを期待するのです。ですが、周囲にいる人もまた、この地上に生きる存在です。この地上に何が起ころうと影響を受けない、雲の上の人ではありません。火の粉がわが身に及ぶとき、彼らもまた右往左往するのです。この人に聞けば安全な道を教えてくれると期待していたその人が、先に炎に飲まれるかもしれません。
 一瞬にして喪失するような激しい変化に見舞われずとも、わたしたちの日常は日々少しずつ変化しています。その不安が頭の片隅にあるからこそ、安全神話が必要なのだともいえそうです。それが神話に過ぎないと知りつつも。
 たいせつな人には、いつもありがとうを言っておきましょう。いつか来る別れの日が、いつ訪れても後悔の無いように。
 
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テーマ: 愛のかたち | ジャンル: 恋愛
カテゴリ: 認知と癒し

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