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犠牲の愛-断れない心理

 仕事や他の予定が詰まっていたり、逆に、少しゆっくりしたいと考えているときに、友達からちょっと強引に誘われたり…。
 そんな時に、つい迷ってしまって、断り切れずに受けてしまい、後から後悔したという経験はありませんか?
 恋愛のみならず、対人関係の中でありがちなことです。相手をたいせつにしたいし、その人と逢っている時間は楽しいひと時だから、つい、無理をしてしまうのでしょう。そこで、本当にしたいこと、優先順位を入れ替えてしまうのです。
 その結果が充実したものならば気にならないのかもしれません。ですが、期待していたほど楽しめなかった場合など、利用されてしまった感が、ふつふつとわいてきます。これだけの犠牲を払って得られたものは……。結局利用されただけ?
 自己犠牲は、ともすれば美談として扱われますが、はたして尊いのでしょうか?
身を投げ出して、人を事故から守ったとして、自分が死んでしまい、家族や恋人を悲しませ、その人生設計を大きく変えてしまったら、それがはたして尊いことでしょうか?助けられた人も、罪悪感を引きずってしまいそうです。
 たいせつな人の為に、できることをしてあげたい。それが自分の時間的体力的余裕の範囲内ならばいいのですが、仕事や生活時間を削り続ける状態にまで至ったら、長くは持ちません。相手の喜ぶ顔を見たいと、わがままを聞いているうちに、いつの間にか、相手の存在が重荷になっていることでしょう。無理をさせていると気付いた相手もまた、辛くなります。

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 「必要としてもらいたい。」断れない心理の裏には、必要とされる必要性があります。相手にとって必要のない存在になることへの怖れです。少し依存的に傾いていると言えるかもしれません。
 少し冷静に考えると解ることです。我がままや頼みごとを断られたからと去っていく相手なら、去ってくれた方が、ありがたいのです。いえ、そもそも、気心の知れた、呼吸の合う友人なら、こちらが苦痛を感じるような頼み事は持ってきません。
 あなたがあなたのままで、わたしがわたしのままで、傍に居て疲れを感じない、そうした関係がいい関係性と言えるでしょう。
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カテゴリ: 共依存

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