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鬱のやり過ごし方

 後30年も人生が残っていると考えると、耐えがたい心境になってしまう、そんな時は、自分の寿命は後2年半だと考えてみるといいかもしれません。それくらいなら、耐えられそうですか。
 明日に希望を持とうと、明るいメッセージが巷に流れていますが、未来に希望を持てそうもない時は、未来などないと考える方が、楽かもしれません。未来などないと知って初めて、今与えられているものに価値を見いだせるかもしれません。
 未来を見て絶望する心は、すでに限界を超えて、なお走り続けているマラソンランナーのようです。遠いゴールではなく、目の前の交差点までと視点を変えてみるといいのかもしれません。

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不安な心は、安定を求めます。それがないから、求めるのです。一人ぼっちがこわいから、人との繋がりに安心を見出したくて、とにかく与える、与え続ける、という一方的な人間関係を続けていては、体力が尽きるころに、報いの乏しさを感じずにはいられません。自分の仕事や、本当にしたいことを犠牲にして、何が得られるのだろうかと、自問せずにはいられません。
 近親者との死別などで独りになると、まるで無人島に暮らしているように心細くなります。しかも、これからもずっと、この状態が続くと思うと、希望は見いだせません。
 そして、ともすれば、他の人間関係で孤独を埋めようと、気に入ってもらうために、付き合ってもらうために、与え続けるマラソンランナーになりがちです。過労で倒れて、相手の期待に応えられないと、見捨てられる不安にも苛まれます。また、そうした過重のかかる人間関係を、一思いに捨て去ろうかとも悩みます。
 ある日突然、パートナーとの死別によって独りになった人は、独身を通してきた人とは、全く違った心理状態にあります。自分に頼って一人生きる覚悟も、まだ整っていません。胸中のパニックを封印しながら、新しい人間関係を構築しようと、日々格闘を続けているわけです。
 高齢期のように、似たような境遇の人が、周囲にいるわけでもありません。家族とともに、平穏な日常を生きている周囲の人々の姿に、いやがうえにもわが身の寄る辺の無さを思い知らされます。
 それでも、憂鬱な顔など見せられません。重いと思われて、距離を開けられたくはないので、必死に笑顔をつくろいます。
 漠然と、まだ長い人生が残っていると考えるよりも、区切って考える方が、楽な時代もあります。その間、周りにいる、同じように寂しい人の力になりたいと考える方が、元気が出るかもしれません。
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