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いじめと自己肯定

 人には誰しも得意不得意があり、苦手な分野があります。得意分野で頑張り、自分には苦手な領域では、それを得意とする人と張り合わない、『自分の土俵で相撲を取る』のがベストです。
 とはいえ、周囲の人々と自分との収入の差が気にかかり、それが密かにコンプレックスになるなど、よくあることです。
 「いじめゲーム」を仕掛ける人は、表面的には誰もが知っている客観的な事実を口にしながら、その実、相手が抱いているコンプレックスを激しく突いてきます。相手の自己肯定感の足りなさを、直観的に鋭く見抜くのです。
 もちろん、本人も満ち足りた精神状態ではありません。むしゃくしゃするから、叩けそうな相手の元に押しかけて、心理的暴力を振るうのです。
 誰かに咎められれば、「だって本当のことじゃない」と悪びれません。良心の呵責など、微塵もありません。

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ターゲットにされた側の弱みは、自己肯定の足りなさにあります。料理が下手、あるいは、毎日一生懸命働いても隣の人よりも収入が低いなどなど、密かに劣等感を抱いていると、そこを突かれて激しく落ち込みます。ですから、いじめゲームの仕掛け人に対する憤りも半端ではありません。よくも、胸中深く隠しているコンプレックスを暴き立ててくれたなという憎悪です。
いじめゲームの仕掛け人は、こうしてターゲットたちから嫌われ、避けられます。当人は、いじめた後は、すっきりと、その出来事すら忘れて、また用事を頼みに行ったり、お金を借りようとするでしょう。ターゲットたちには、その厚かましさが理解できません。
 「意地悪な人」は、実は依頼心が非常に強く、ターゲットに選んだような人は、容易にいつでも利用できると信じている節があります。暴言の津波で相手を飲み込むこと自体、甘えの一つにすぎません。究極の甘えです。取り返しはつきません。相手は、二度と、許してはくれません。
 「意地悪な人」もまた、改心して、周囲の人々に善意を示すようなことはありません。孤独になりますので、また、新たにターゲットを探すこととなります。
一方、ターゲットにされた人は、自己肯定感を育む必要があります。このような人は、完璧主義の傾向が強く、周囲の人々よりも優れた資質を持っているにもかかわらず、自分の不完全な部分ばかりを見る傾向があります。
 誰かに暴かれてパニックを起こさないために、頑張っている自分を認めましょう。受け入れましょう。
「確かに私の業種は、△△業の人に比べ、収入は少ないですが、毎日日曜も祭日もなく、一生懸命働いています。あなた方のように夫という名のパトロンもいません。子供という名の将来の保証もありません。裕福ではありませんので、多くの寄付金は出せません。それであれこれ言われて、自尊心を挫かれるようなら、私はここを去っていきます。」
心のスタンスはこれでいいのです。
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