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自己正当化型ADHDの依存性

 常に自分を正当化し、他者に自分の思想信条を押し付ける自己正当化型ADHDは、自己愛性人格障害とも、強迫性人格障害とも、失感情症ーアレキシサイミアともオーバーラップして見えます。同じ症候群の別な名称といえなくもありません。 そして、この自己正当化型ADHDには、強い依存傾向があります。聖書の解釈も非常に表面的です。それが書かれた時代の社会背景などを考慮しません。
 『神は水をワインに変えると言う奇跡を行い、惜しみなく与えれくれる。ただし、そうしてもらえるのは、誓いを立てた我々だけである』
という発想をします。

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つまり、不可能なことを可能にしてまで、惜しみなく与えられたいのです。
 答えを与えてくれるものに依存したいという強い依存がここにあります。これさえ守っていれば安全と言う保障を求めています。
 それが『神』から出たことばなら、絶対に安全だと言うわけです。これ以上、絶対的に正当化できる対象はありません。
 神概念は人の手によるものであり、神が語ったとされることばも、その著者が神の口を借りて語らせたことばであるなととは思ってもいないのでしょう。


『自分は正しい。自分のことを後回しにして、いつもみんなのためを思っている。
自分はいいことをしているんだ。
人から感謝されたりほめられないと不愉快になるんだ。』
こんなことを口にして、嘆くことがあります。
世のため、人のためと言いながら、事実は私のためです。賞賛や賛美がほしいのです。それを自覚してはいません。
 また、『全ては神の御心です。神は優しいだけではありません、時に厳しく裁きます。全て神の御心です。児童虐待や飢餓、虐殺等…人道的に非道な行いも全て神の計らいの一つであり、それを通して我々に何かを教えようとしているのです』
こんなふうに解釈したりします。
不幸なことが起きるのは、その人の『罪』の故と言うわけです。これでは、困難に遭遇した人に、罪悪感を抱かせようとしているかのようです。困難に遭遇した人は浮かばれません。二次被害を受けてしまいます。


 通常は尊大な態度を取る自己正当化型ADHDですが、ひとたび思い通りに行かないことがあると、死に物狂いで自分を正当化しようとします。自分の中にある感情も、都合の悪いことは当然「否認」します。狂気とも言うべき懸命さでいろいろな理屈を考え出しては強情に言い張ります。
 カルト宗教に対する傾倒は、アディクションですが、当人は、宗教の水を受けた自分たちは、そうでないものよりも人格として優れていると思っています。そこで、そうでない『罪』にまみれた人々を救済しようと懸命になります。
 救済とは、自分たちの宗教に勧誘することです。集会に誘い、同じ活動をさせることです。
 自分たちの受け入れている概念が唯一正しい、素晴らしい概念であると信じているのです。
 人にはそれぞれ、違う神、違う信仰を持つ自由があるといっても、解らないでしょう。それは、悪魔の化身であり、それを信じるものは、穢れたもの、劣ったものなのです。
 こうした人のパートナーシップは、共依存になりがちです。
  この依存を断つのは困難です。自分自身の心から目を背け、眠らせ、決して目覚めようとしないのですから。

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テーマ: 恋愛依存症? | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: 共依存