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DVの連鎖

 ミーティングで、上司がガガガッと怒鳴っている。静かに話せば、充分解るのに、何をそんなに怒鳴る必要があるのか。それほど、怒鳴られなければならないようなミスをしたのか.....?
 解っている。この人は、上からの批判を怖れて、びくびくしているのだ。そもそも、左遷されてこの部署に配属されてきた。なんとか、評価を上げたくてやきもきしている。同時に、部下に足を引っ張られやしないかと、気が気じゃない。
 当たり前だけど、誰も、この人とランチを一緒に食べたいと思ってやしない。充分、解っている。そのはずなのに、帰宅すると、横暴な上司と同じ態度を妻に取ってしまう。妻なら安全だと、信じきっている。どんな態度を取っても、決して自分を見捨てはしないと。何故、それほど安心していられるのか、ともかく、妻だけは特別なのだ。

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自分の中にある他者に対する不信感、同時に見捨てられることへの恐れがあることも、彼はあまり自覚していません。
 何か困ったとき、誰かが「助けてくれる」という発想も全くありません。したがって、独りで何とかしようと頑張りぬきます。辛いことを辛いと自覚する感情も、鈍くなっています。後になって、思っていたよりも、あの時傷ついていたのだと気が付くような有様です。
 仕事のストレス、人間関係のトラブル、一人で抱え込んでいますから、ベースには抑うつがあります。それではいけないと、外ではテンションを上げていますが、許される相手を選んで、時に破綻してしまいます。
 こうした対人姿勢は、職場の上司がもたらしたというよりも、実はもっと根が深く、子供時代の家庭環境に因るところも大きいものです。
 そして、パートナーは、子供時代の環境になかったものをもたらしてくれた人と言えます。「安全」です。小さい頃の家庭にはなかった、退屈するほどの平穏、自分に関心を持って、尽くしてくれる存在。にもかかわらず、そのありがたさが解らず、粗末に扱い続けてしまうのです。
 人を信頼し、人とつながることをまだ知らない、支配被支配の力関係。絆を喪失しているそのひずみこそ、癒していくべきものといえるでしょう。

 家庭は愛と癒しが行き交う場所であると同時に、暴力が見逃されやすい場所でもあります。そこに生まれ育った者には、家紋のように家族の傾向が刻印されていきます。
 そこでは「この世界に自分は一人ぼっち」という孤独感、「自分は人から好かれる存在ではない」という自己否定感が生まれやすいものです。それらを打ち消したり、隠そうとしながら、なんとか社会を渡っている危うさが、ジキルとハイドの正体かもしれません。
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