Sponsored Link

すぐにキレる怒り-溜めこむ怒り

 人は、どんな時に怒るのでしょう。一つには、「いくらなんでも、もう我慢できない」と限界に達したとき、もう一つには「ここで怒っても大丈夫」と判断した時ではないでしょうか。

 お局様の陰湿な攻撃をずっと我慢してきた。一つ一つは、皮肉や嫌味、揚げ足取りといった、はた目には気付きにくい些細な出来事ですが、敵意のこもった視線も相まって、徐々に我慢の限界は近づいてきます。
 引き金は、あからさまな無視、だったかもしれません。辞表片手に、それでも関係性が改まることを期待して、直談判を決意します。追い詰められた状態です。
 ところが、相手は怯みません。逆ギレしてさらに激しい攻撃を浴びせてきます。これ以上、我慢してまで得るものはないと決意して、決別を決めたとしても、何年たっても、ふとその頃の残像が蘇るたび、悔しさがこみあげてきます。溜めこまれたままの怒りは、相手との決別をもってしても、容易には収まらないのです。

Sponsored Link

内面にくすぶるストレスは、「ここで怒っても大丈夫」な時に、火山のように噴出します。上司には従順に振る舞っていても、何の関係もない家族や友人知人との何気ない会話の最中に、突如キレて噴き出すのです。
 相手は、怒られる理由も解らず、困惑しながら、なだめようとするでしょうか。その態度に、さらに「この人なら怒っても大丈夫」と判断する人もいるでしょう。上司と部下、教師と生徒、親と子など、怒ることが正当化されやすい関係では、そこに理不尽な怒りがまぎれていないか、注意が必要です。
 友人知人ならば、いくら温厚な人でも、いつまでも我慢してくれないことでしょう。仏の顔も3度までということわざもあるように、宥めて励まそうとする姿勢から一転して、対決姿勢を示してくることでしょう。もう「この人なら怒っても大丈夫」ではなくなってしまったのは、大いに誤算かもしれません。謝って友好関係を続けるか、それとも罵詈雑言を残して背を向けながらも、内心許されて歩み寄ってきてくれることを待つか、岐路に立たされることでしょう。弱い人は、強気な態度で、往々にして後者を選びがちです。
 人は、ストレスにさらされていら立っているとき、この世の中で自分だけが不幸だと思いがちです。他の人たちは何の苦労もなく、満ち足りた人生を生きている、そうした認識を抱きがちなのです。人それぞれに人生の課題を抱えている、などとは到底信じられません。
 所持金の少なさに不安を抱えているとき、贅沢なお茶を飲んでいる人との落差を感じずにはいられません。笑顔の人は何の苦労もなさそうに見えてしまいます。「自分の今味わっている苦痛を味あわせてやりたい、そうすれば少しは人の痛みが解るようになるだろうから。」
 助けを求めて寄りかかりながらも、心中には相手を妬み、不幸を願う怨念がいっぱいです。内心では同じような目に会えばいいと、相手の不幸を願いながら、その相手に助けを求めてすがるのでは、相手にとって、ただ重いだけの存在となってしまいます。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する