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DV依存症

 親しい相手に支配的に接したり、時に声を荒げ、暴言を吐く、ドメスティックバイオレンス。発信者は、自分もまたそうした家庭環境で成長した可能性があります。 父親が男尊女卑の価値観を持ち、従順な母親を支配した環境です。子供は、母親は支配されて当然、支配していい存在とみなすようになっていきます。その一方で、自分は支配されたくない、支配する立ち位置に居たいと願うようにもなるでしょう。そのために、人間関係を上下関係ととらえ、どちらが上か下か、様々な条件に敏感になるかもしれません。
 そして、自分が家庭を持とうとするとき、支配できそうな対象を選びがちになります。自分の勝手気ままに、従順に従う相手です。意見するような相手、引っ張っていこうとするような相手は、かわいくありません。常に自分に従ってくれる相手を求めるのです。そうした希少な対象を見つけると、その相手を軽んじ、粗末に扱います。
 去っていかれそうになると、その思いもかけない事実に愕然とし、相手の裏切りのように感じて責めたり、泣き落としで引き止めたり、相手が思いとどまると、やがて元の木阿弥です。

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相手の立ち位置に立って現状を観るということは、慣れた日常の中では意外と難しいのかもしれません。DV発信者も、自分の感情に任せた言動が、相手にどう響いたかを想像することができません。外での様々な対人関係でストレスを受けているときには、自分が被害者だという認識に留まり、その鬱憤を関係のない相手にぶつけていることに気付きません。相手からもらいたいのは、さらなる気遣いだったりします。こんなに大変なんだから、もっと世話を焼いてくれ、という要求です。それが甘え過ぎであることにも気づきません。
 泣いている赤ん坊に似ているかもしれません。「うるさい」と嫌われるために泣くのではなく、保護と充足を求めて泣くのです。

 究極の気付きは、相手の喪失でしょうか。失って初めて、その大切さがわかるのです。何気ない日常の一コマ一コマに、どれほど、その人が自分を支えてくれていたか、喜ばそうとしていてくれたか、失って初めて気付くのです。
 
人は、相手からの愛が充分ではないと感じるとき、ともすれば相手を責め、泣きわめいて不足を言いたくなります。共依存的に相手からの承認を必要としている人、去っていく場所の無い人は、責められると期待に応えてくれるかもしれません。すると、その方法が改められることがありません。
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