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終った恋を評価する

「わたしの一生懸命なところが彼には重たかったんだわ。」
 恋が終焉に差し掛かる頃、その原因を自分の中に探し出し、改めようとします。自分らしさを押さえ、彼の希望とニーズに添うようにしようと考えるのです。自己への反省の裏には、相手への執着があります。まだ、自らの幸福を相手に依存しているのです。その為に自分を折り曲げようとしています。
 問題や障害から距離を起き、休む機会を得ると、おのずと認知も変わってきます。その恋が不毛のままに終わり、ボロボロに傷ついた心が休むことにより癒されてくると、
「あんな孔雀のようなオトコを愛した私がバカだった。今度はルックス倒れじゃない相手を選ぼう。」と考えるようになります。これが軌道修正です。

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 親密な関係性は、強い執着を生みます。それが断ち切られるときには、身も心もボロボロになるような、苦しくて辛い離脱症状が訪れます。
その離脱症状がひきはじめたころ、認知の変化が訪れるのです。
失った恋には、どんな価値があったのか、冷静に評価を始めます。

 もしも、終っていなかったら、今も、彼と一緒に、彼が熱心にやっている活動、自分にとっては無意味で退屈な活動を続けていただろうか?
すると、去っていった人は、ふさわしい相手ではなかったということです。
捨てられることによって、救われたのかもしれません。自分を取り戻し、自分のいるべき場所を確認することができたのです。
そして、この恋を経験することで、ひとつ成長できたと気付きます。
価値観の違うもの同士が、寄り添っていくには、互いに相手をコントロールして、自分の価値観に相手を染めようとしないこと。違いは違いのままに受け入れるということ。それが相手を尊重することなのだと、苦い恋が教えてくれるのです。
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テーマ: 過去を振り返る | ジャンル: 恋愛
カテゴリ: 失恋の処方箋

コメント

とみさん、こんにちは。
たまには愚痴も出るのが当然じゃないでしょうか。むしろ、愚痴ひとつ無く、相手を褒め称えるような関係は危なっかしく感じます。
 むつかしいですけど、違いがあっても、それで相手を失うかもしれないという不安や、同じでなければうまくやっていかれないという脅迫的な考えを手放すことだと思います。
 違いを受け入れたり許したりしたとき、自分の心に無理があるかどうか、維持するためにムリするのは辛いですからね。

2008/05/05 (Mon) 07:27 | 美優 #- | URL | 編集

いつも興味深く拝見させて頂いてます。質問なんですが価値観の違いをありのままに受け入れるというのが自分にはよく解りません。我慢とは違うのはなんとなく分かるのですが、受け入れたつもりでも私も人間ですからたまには愚痴も言ってしまいます。それはやはりいけない事なのでしょうか?これこそが価値観の違いでしょうか?ただの我慢だったんでしょうか?彼女の性格を受け入れた自分に充実していたと思っていたこともあったんですけど、受け入れるってなんなんでしょうか?

2008/05/04 (Sun) 10:52 | とみー #- | URL | 編集

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