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いじめ後遺症

 いじめの被害者は、いじめられていることを周囲の大人には言えません。クラスの中で自分だけがいじめのターゲットとして選ばれている。これは屈辱なのです。そんな恥ずかしいことは言えません。ですから、助けも求められません。
 それでも、内心では、誰かが救いの手を差し伸べてくれることを、疎外しないで仲間に入れてくれることを願っています。でも、誰も助けてはくれません。
 登校するのが嫌になります。自分はまるで、オオカミの群れの中に餌として入れられる羊のようではありませんか。それでも、逃げることは負けることだと、頑張って登校します。最初のうちは。
 いじめが長くなると、次第に被害者の登校日数は減っていきます。安全な家庭から出たくなくなります。
 ですが、家庭も安全ではありません。親からは不登校を責められ、自己評価も落ちていきます。

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いじめは加害者たちの心理的成長とともに、解消していきます。あるいは、進級や進学で環境が変わることによっても収まります。
 ですが、被害者の苦悩はそれから始まるといても過言ではありません。長い間、独りで被害者の座に座っていたことによって、他人を信じられなくなっていることに気付きます。
 他人はわたしを痛めつける存在。人はわたしに危害を加える存在。そうした認識ができあがっています。そして、誰も、助けてくれる人はいない。そう、実際にいなかったのですから。
 当然、他者と積極的に結びつこうとする動機付けは乏しく、気が付くと集団の中で浮いている、といった傾向になりがちです。
 内心は、それでも声を掛けてくれる人を待っていますが、ここでも、現れません。どういうわけか、いつも、わけもなく浮いてしまうので、集団生活は楽しめません。引きこもることを好むようにもなります。
いじめの被害者となるような自分には何が足りないのかと考えて、答えが出ず、自分を好きにもなれません。モラハラ、DV被害者の心理と共通しています。
 いじめ後遺症からの脱出は、自ら外へ踏み出すことによってしかなされません。慰められたくてうずくまっていると、放っておかれるばかりです。集団の中で孤立すると、ますます疎外され、必要な情報すら届かなくなります。
 声を掛けるのです。自分から。無視を決め込んでいるその相手に。笑顔で、さりげなく挨拶します。相手は奇異な目を向け、挨拶を返さないかもしれません。無駄と思われるような状況が、しばらく続くかもしれません。
 そうこうするうちに、必ず挨拶を返してくれる人、雑談を持ちかけてくる人が現れます。人に嫌気がさして引きこもっても、やはり独りは寂しいものです。再び人を求めて自ら扉を開けることによって、少しずつ人を理解してゆきましょう。 
 加害者は面白半分の享楽型が多いといえるでしょう。抗議せず、じっと我慢していては、この子は虐めてもいいのだという暗黙の了解ができてしまいます。痛いと声を上げることが大事です。
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カテゴリ: 認知と癒し

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