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傷つくということ

 時に、ことばは刃物のように、人の心をえぐります。いつまでもその傷跡が塞がらず、痛み続けることもあるでしょう。
 ですが、ことばは、本来、誰も傷つけることはできません。そのことばを受け取った時、傷つくことを選んだのです。上司や親族、教え子や義理の子供から良い評価を得たいと頑張っていると、批判や非難に傷つきます。自分のこういう点が、周囲の人に比べて劣っていると信じていると、それを指摘することばに傷つきます。
 恋人の裏切りにも傷つきます。恋人に裏切られたというよりは、恋人への期待に裏切られたと言うべきかもしれません。一生懸命を尽くしていれば、いつかはきっと!!という期待に背かれたのです。
 劣等感を突き、自尊心を引き下げかねない出来事に、人は傷つきます。あんなことが平気で言えるなんて、あんな態度が平気で取れるなんて、人間性を疑う!!と、相手を非難したい心境にもなるでしょう。確かに、相手は「その程度の人」なのかもしれません。その程度の人に、本気で腹を立てるのが、劣等感の仕業なのです。

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八つ当たりの猛攻撃をされた挙句に、「あなたには能力が足りない、この仕事をする資格なんかない!」とまで言われたよと、周囲に笑いながら話す人もいます。攻撃者のことばは、その人を傷つけなかったのです。
 傷つくということは、他人のことばに同調して、自分自身も自分を攻撃しているといえます。ここに、自分自身への評価が表れています。あれもこれも、何もかも、人並みに、人並み以上にこなしたいという完全主義は、心の休まる暇がありません。たとえゲームのようなたわいないものでも、不出来を笑われると本気で落ち込んでしまいます。自己価値をどうやって高めていくかが、隠されたテーマです。
 他人は、あなた自身ほどあなたのことを知っているわけではありません。せいぜい一定期間のとあるシーンを見聞きして、そこに自分自身のバイアスのかかった判断を、時には神になり替わったかのように、高飛車にかぶせているだけの事です。
 そうやって人を裁く人は、当然他者の不快を買いますので、人からも裁かれます。そうと知ってはいても、他者批判で自らの自尊心を埋め合わせる生き方が、習い性になっている人もいます。
 周囲の人の顔色を窺い、決して傷つけるようなことを言わない人は、その温厚さゆえに、八つ当たりの対象に選ばれやすい傾向があります。そして、傷ついても反撃できないことに、また自尊心が低下しがちです。そんなときには、
「わたしを粗末に扱うことは許さない!」
何度も繰り返し、自分に言い聞かせることです。無言の気迫が身に付くまで。
 受け入れるべき批判は、相手の身を案じる気遣いから発しているものです。その時には、親に逆らう青少年のようにかたくなにならず、素直に聞き入れたいものです。
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テーマ: メンタルヘルス | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: 認知と癒し

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