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対人関係過敏症

 わたしたちは、日常多くの人々と関わっています。新しく出逢った人の人となりを推し量り、相手との接し方を決めていく。誰もが当たり前のようにしていることですが、実は高度なスキルを必要とします。どんな相手とも適切に関われる人は、少ないかもしれません。誰にとっても人間関係は、少々頭の痛いこともあることでしょう。
 中には、人とのかかわりが全般的に不得意な人もいます。他者に対する不信感が強く、関わることに不安や恐れを抱いていたりします。
 ですが、決して孤独愛好家ではありません。好かれたい、愛されたいという欲求は人並みに、あるいはそれ以上にあります。それなのに、なぜか上手く関係を築けません。本人も、内心悩んでいるものの、なぜ自分だけが浮いてしまうのか、孤立してしまうのか、理由に思い当たりません。

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内向的な子供は、自分からは進んで話しかけられず、周囲が仲間に入れてくれるのを待っています。入学当時には誰もが知らない同士だったのに、暫く経つと、いつの間にか周りは互いに親しくなり、自分だけが浮いていることに気付き、「何故なんだろう?」と、悩みます。待ってばかりでは、いつまでも何も起こらないのだと気付けないのです。
 子供の世界は本音至上主義ですから、臆して近づいてこない子供、主張しない子供はそのままにしておかれたり、時に虐めの対象になりがちです。また、周りの大人たちがそうした子供の美質を認めず、問題視してばかりでは、自分に自信や誇りを持てなくなっていきます。自分の性格に難があるから対人関係がうまく結べない、と考えると委縮していかずにはいられません。周りの子供たちから虐められ、さらにそのことで人格に問題があるとされては、対人関係に過敏になるのも無理からぬことです。
 幼い頃からのこうした体験の連鎖による心の傷は、人に対する嫌悪や恐れを抱かせます。無条件で受け止められ、暖かい交流を交わした経験がなければ、それがどういうものかわかりません。はたしてそんなものが絵空事でなく存在するのかと、疑いたくなるかもしれません。心と裏腹に、社交辞令として互いに親切にしあっているだけなのでは?と。陰に回ったら、悪口を言い合っているのでは?と。
 無条件で受け入れてくれる、そんな存在があるとしたら、それはアニメのキャラクター、もしくは神だけかもしれない。そんな世界観を持っているかもしれません。
 ですが、空中に潜んでいるという目には見えない神もアニメキャラクターも、共に異次元の住人です。わたしたちは日ごろ接する相手の中に、神性ともいうべき優しさを引き出しあうことによって、良い関係性を築いているのです。
 人とうまく関われない人は、被害を受けることや、侵入されることを怖れる一方で、自分を丸ごと受け入れてくれる対象を渇望しています。与えられることのみを待ち望み、与えることを知りません。相手の反応を不安に思い、挨拶一つ、笑顔一つ、先には掛けられません。それでいて、「誰も自分に声を掛けてくれない」と悲しみます。好意を寄せる相手と関わりたいけれど、付き合うことにかかるコストが気になり、二の足を踏んでしまいます。一方で、高いディフェンスを越えて歩み寄ってきた相手には、とことん甘えて疲弊させてしまいがちです。
 自分は与えないで、人に与えて欲しいと要求する心理が、対人関係過敏症の本質です。「この人はわたしに何を与えてくれるのだろう?」あるいは「何を奪っていこうとしているのか?」と品定めしているのでは、相手は逃げていきます。人は、好意を投げかけてくれる人に魅力や好意を感じます。気さくな声掛けやちょっとした気遣い、そして相手から返される笑顔に自らも充たされた気分になる、心地よい関係はそこから始まります。
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