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投影-心を映す外界

 わたしたちは無意識のうちに、周囲の人間関係のドラマから、その背後にある、相手の真意を読み解こうとしています。そして、ひとたび、あの人の言動の意味はこうだと認識してしまうと、それを修正するのが難しいものです。間違って解釈しても、これは自分の憶測にすぎないと気が付かないことが多いのです。外界はわたしたちの心を映しだす鏡ともいえます。
 たとえば、ある人が、「私は、女性にもてる。」という自己認識を持っていると、女性からのさりげない挨拶の中にも、特別な好意を感じ取りがちです。逆に愛されないという思い込を持っていると、友人や恋人の言動に、見捨てられる兆候を探しがちになります。外界は心の色に染まるのです。人間関係を正確に読み解く認知分野が、わたしたちの日常の中で一番大切ですが、実は、一番難しいことでもあります。常に、わたしの憶測、わたしの洞察は当たっているのか?と、確認する作業が必要です。

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妄想性パーソナリティは、常に自分の直観の正しさを過信して、検証を怠ります。そして、相手の真実と自分の真実の間に乖離を発見しても、なお、自分は正しい、相手はうそをついていると、譲りません。
 妄想性人格の中核にあるのは、人類に対する絶対的不信です。他者は自分を不幸にするために存在している、そうした世界観の中に生きています。家族であろうとパートナーであろうと、この不信感を免れえません。硬く瞼を閉じて、暗闇の中に描いた映像の中に生きる人といった印象です。
 そこに至る以前の成長期や青年前期に、人と関わりを持てず、いつも孤立していた、そういう経緯があるかもしれません。なんらかの脳の機能不全のために、コミュニケーション能力が発達しなかったことも考えられます。
 集団の中で自分だけが浮いてしまうという経験は、辛いものです。わたしたちは、無意識のうちに周囲を判断して、交流を図ろうとします。似たタイプの相手だと楽ですが、性格や価値観、立ち位置の違う相手との交流には、誰しも悩むところでしょう。発達障害のある人は、そのように試行錯誤しながら自分から働きかけることが難しいのです。じっと働きかけられるのを待っています。なぜ自分だけが仲間外れになるのか、解りません。ただ、辛さだけは自覚します。
 そこで、自分を受け入れない周囲への怒りや不信が生じます。妄想性パーソナリティの冷淡さは、他者との交流の希薄さ、不信の故と言えるかもしれません。
 とはいえ、「洞窟にただ一人」といった絶対的孤独を好んでいるわけではありません。心を許せる少数の他者-家族などには、徹底的に依存します。他人=敵だと認識しているので、外出ができず、家族に依存した生活になることも少なくないでしょう。家族は通院や入院を望みますが、病識がなく、迫害妄想があると、自発的に病院へ行く可能性は乏しいでしょう。
 他人の中では、家族に対する横暴さから一転して、卑屈になります。よく知らない他者は家族のように安心ではありませんから、媚びることによって安全を見出そうとするのですが、そのストレスから、ますます外出を嫌がるようになります。
暗闇を手探りで歩いている、そうした心理状態にあるとき、出会うものすべてを不必要に怖れるのです。究極は、「人間関係で起きることは、どんなことでも概ね対処できる」という自分自身への信頼の欠如に他なりません。大丈夫、なんとかなる、という根拠のない安心感が、精神の健康には必要なのでしょう。
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カテゴリ: 妄想性人格障害

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