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いじめと自尊心

 モラハラやパワハラは、特定の反撃できない相手を、狙い撃ちにすることが往々にしてあります。狙われた相手は、選ばれてしまったこと、それ自体にショックを受けます。何故なのか、自分側には思い当たる理由がありません。迷惑をかけるようなミスもしていないし、そればかりか、攻撃者とも協調してやっていこうと、ずいぶん気遣いも重ねているはず!!
 被害者は、人と闘った経験が乏しいのです。それゆえにスキルもありません。したがって、自信もまたありません。結果への恐れはあります。人と争ったりして、周囲の人たちの反感を買わないか、非難の対象にならないか、究極は解雇など、その社会から排除されることへの怖れです。
 だからこそ、非難や攻撃を受けないように、常日頃、気を配っているのです。皮肉なことに、それ故に、攻撃対象に選ばれてしまいます。

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加害者には、余裕がありません。時間を惜しんで金儲けに奔走していたり、コンプレックスのために、深く心を病んでいたり、あれこれの人格の障害も内面に抱えています。
 他人の取るに足りないようなことを、あたかも一大事のように取り上げて、何時間もいびり続ける人もいます。激情の暴発を止められない人もいます。そうしたことを重ねても、良心が痛まないほど、自尊心が低下しているのです。反撃しない人は、自分専用のサンドバックのようなものです。サンドバックは殴るためにあるのだと、自分を正当化します。あなたのなにげないしぐさや、声のトーンまで、攻撃の理由になります。
 そんなことに耐えてまで、その人と関わる必要はありません。耐えられる時間には限りがあります。追い詰められて、死ぬほど辛いなら、逃げたらいいのです。攻撃者は、あなたに逃げられたら、次のターゲットを見つけることでしょう。
 その会社、その団体の利益のために、身を粉にしてまで捧げることはないでしょう。自分の人生なのだから。一つの世界が幕を降ろしたら、おのずと別の世界が開けます。それが世界の終わりじゃありません。最低の人と関わったなら、次に出会う人がそれ以下であることは少ないはずです。
 ターゲットに選ばれてしまった自分、反撃できない自分を恥じてはいけません。そうした人だけを選んで憂さ晴らししている攻撃者こそ、自らの卑劣さを恥じるべきです。
 怒りを感じたら、表情に出しましょう。相手からの攻撃に唖然として、とっさに言葉は見当たらなくても、表情は容易に語ります。これ以上の逸脱、侵入は許さないと、目力に語らせましょう。
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カテゴリ: 認知と癒し

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