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敏感関係妄想

 人がひそひそと立ち話をしているのを見ると、自分の悪口を言っているのではないかと感じる。対人関係に齟齬を生じ、感情が過敏になっているときには、誰しもこうした穿った見方をしがちです。他人の目、他者の評価が気になっているのです。
 うまくいかなかった事柄に対して、内心くじけていますから、「だいじょうぶだよ」と外側から支えられないと辛いのです。ところが、落ち込みがひどいと、他者からの慰めや励ましのことばも、本心ではないと疑いがちになります。本当は見下しているのだろうと、決めてかかるかもしれません。自分に対して周囲の人がマイナスの評価をしていると思い込んでしまうのです。
 こんな自分を周囲はよく評価してくれるはずがないと、自分自身に対して劣った評価を出しすぎています。その自分への見方を変えられなくなった時、周囲からの良い評価を集めて、繕おうとします。すると、不都合な現実を直視することができません。
受け入れられない現実を、自己の中で都合よく書き換えてしまいます。責任を問われかねない場面では、現実を湾曲し、他者に責任転嫁し、自分を被害者の位置に据えて、理不尽に責められていると訴えます。潔く謝罪するなど、とうていできません。そんなことをすれば、人望を失う、それを何より恐れるのです。実際には、正しい人を演じ続けることによって相手を傷つけ、人望も失っていくのですが。

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人は間違いを犯しやすく、間違っても許されて、協調していかれるものだという認識が持てずにいると、自身の完璧性の中にしか安全を見出せません。たった一つの自らの汚点で、自分の立場や信頼関係を失う危機感を感じるのです。そして、現実を突き付けてくる他者の存在に傷つき、関わりを絶つことによって自らを守ろうとしがちです。
 そうした回避行動が身に付くと、当然のことながら問題解決能力は磨かれません。ひきこもると、社会からの支援も乏しくなります。
 人は、完璧な資質よりもむしろ、その欠点によって愛されると言えます。コンピューターのような秀才が傍に居ると、周囲はどうしてもコンプレックスを感じやすくなります。その秀才にもある弱点を発見した時、ほっと安堵して親しみを感じるのです。
 正しさの中に籠って防衛するよりも、不注意な自分に苦笑しながら謝罪しましょう。許してもらう前に、まず自分が至らない自分を許しましょう。そんな自分を受け入れてもらう前に、まず自分が不完全な自分を受け入れましょう。そうすれば、人の目はそれほど怖くなくなるかもしれません。
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カテゴリ: 妄想性人格障害

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