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コミュニケーション障害としての暴力

 コミュニケーション障害の人の中には、同じ相手に対して理想化とこきおろしを繰り返す人がいます。顔見知り程度のよく知らない人に対して、こういう人だ、素晴らしい人に違いないといった自分のイメージを投影し、積極的に相手と親しくなろうとします。ほどなく、相手の実像が見えてきたら、「こんな人とは思わなかった」とこき下ろすのです。そして、次の対象を探し、また同様に.....。
 お近づきになろうとする方法も、頻繁にメールや電話を繰り返すなど、多分に自己中心的です。素敵な人だと思い、接近したいが故ですが、相手にとっては、迷惑行為でしかありません。
 そして相手のつれない反応に気付いたり、あるいは理想像との乖離を発見すると、途端に激しく激高して相手を誹謗中傷したりします。
 こうした方の暴言に振り回されるのは、感情の無駄遣いかもしれません。電話での悩み相談や頼み事などを繰り返していたうちは、理想的な人と映っていたのでしょう。知人以下の接点しかないにもかかわらず、異常な急接近に訝っていたかもしれませんが、買い被っていてくれたのだと思うと、不快感も少しは落ち着くかもしれません。期待に応えられなくてごめんなさい、諦めてくれてありがとう、と思いましょう。境界性パーソナリティ障害の人や、恋愛経験の乏しい人に、こうした傾向が見られます。前者は他の人と同様の経験を繰り返し、後者はこの経験から学習します。

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中には、こうしたうまくいかない経験から、「なぜか自分は人とうまく付き合えない」と感じ、傷つくことを怖れて、引きこもってしまう人もいます。人との間に壁を築いてまで自分を守りたい人ですから、その壁も非難されることのない「正しさ」の壁であることも多いものです。
 自分が正しいと信じたら、相手を踏みにじることも厭わない冷酷さも持っています。正義の刃は硬く冷たく、殺傷能力が高いのです。
 人はみんな、一人ひとり立場が違っているので、立ち位置が違えば、自分にとっての正義も他者にとっては諸悪の根源、ということもありえます。自分を基準にした正義は、所詮、我欲の範疇を出ないものといえなくもありません。何より、正義の剣を振りかざす人は、相手も血の通った人間であり、斬られれば痛むということを忘れています。
 もっとも問題なのは、黙って斬られてくれる相手を斬りつけてしまいがちなところでしょう。つまり、自分を愛して大切に思ってくれている異性や家族、そして自分よりも弱い立場にいる人を、尊重できず虐待に至ることです。
 剣は斬りつけても痛みを感じません。痛いのだと訴えても態度が改まらないなら、斬られない位置まで後退することも必要でしょう。
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