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被害不安と被害妄想

 被害妄想は、統合失調症やうつ病、認知症などの人たちに見られる症状です。違法薬物の使用によっても現れます。それは脳が必要以上な不安を処理できずにいる兆候でもあります。
 重大な精神疾患ばかりでなく、ミクロな「思い過ごし」は、わたしたちの日常生活でも珍しくはありません。考えすぎだよと人に言われて、修正できるなら、それは妄想とは呼びません。
 「その出来事」が起きたら、自分には対応する力がないと疲弊感や自信喪失に陥っているとき、わたしたちは「それ」が起こりはしないかと、その兆候に過敏になってしまいます。齟齬を生じている他者の言動を、必要以上に危険なものと解釈しがちにもなります。こんなときには、無い力を振り絞って対処しようとはせず、気分転換やリフレッシュが必要です。楽観的に軌道修正してくれる、第三者の存在も重要でしょう。

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病的な被害妄想には、他者の助言は役立ちません。捕らわれているのは不安ではなく、やるかやられるかといった極限の、戦場のような恐怖なのです。恐怖ゆえの錯乱といった心理状態が、際限なく続いていると言えるのかもしれません。
現実には不可能であるにも拘らず、「盗聴されている」「毒を盛られている」「監視されている」等の根拠のない主張がみられます。障害されているのは現実を認知する能力ばかりでなく、他者を信頼する力もありません。家族も信頼の対象ではなく、過度に依存する対象でしかないのです。
 妄想を修正しようとするパートナーの試みに対して、「周囲に脅かされている自分の苦境をどうして解ってくれないのか!」と逆上し、暴力に至る場合もあります。家族なら窮地に居る自分をもっと支えてくれという言い分です。しかし、パートナーは、すでに充分すぎるほど支えています。職に就けない本人を養い、家に居ても何一つしない本人の身の回りの世話を焼き、たわごととしか取れない、敵意と怨念に満ち溢れた妄想に延々とつき合わされ、とっくにくたくたです。
 親は諦めて見放し、子供は見捨てて自立し、最後まで傍に留まりがちなのは、パートナーかもしれません。それでもさらに、愛情が足りない、献身が少ないと絶縁状をもらうなら、それは幸いなことと言えるでしょう。その別離によって何を失うにしても、その人と人生の終焉まで関わることの困難さに比べれば。
 別れる決意をした方へ。その人は、あなたがいたからこそ、自らの破綻を外部に知られることなく、今日まで生きてこられました。この人には私しかいない、なんとか普通になってもらいたい、普通に感じ考えることから得られるささやかな幸福感を味わってほしい、そうした願いを抱き、彼を支えることが生き甲斐だった日もあったかもしれません。ですが、あなた自身が、普通の人々と居る安らぎ、安堵感をもっと知ってください。 
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カテゴリ: 妄想性人格障害

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