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心理的暴力と愛された記憶

 人の集まるところ、何処でもいじめ・パワハラの起きる可能性があります。いじめの原因は、もちろん加害者にあります。多くの場合、加害者は鬱憤やイライラのはけ口として、一番安全な相手を選びます。立場の弱い新人が選ばれることが圧倒的です。その逆、部下や新人から上司や古参者へのいじめは少ないことでしょう。 新人が優秀で魅力的であればいじめを受けないかといえば、決してそうではありません。若さや能力は古参者や上司の嫉妬心の的となる可能性があるのです。
 自分の立場が危うくなるのではないかという不安感を、自分磨きのエネルギーに転換すればいいのですが、陰湿ないじめをする人は、決して前向きの努力をしません。相手を貶めることによって、安堵を手に入れようとするのです。相手に非があるからと自らの正当性を主張し、古参の立場を利用して周囲を丸め込む才能には長けています。
 ストレスの多くは継続的に続くものですから、加害者は常にイライラをぶつける対象を必要としています。選ばれたターゲットに、いじめやパワハラが継続するのは、周囲の人々にも暗黙の了解が生まれてしまうからでしょうか。
 加害者による正当化や、周囲の「いじめられる側にも責任がある」という言葉が、被害者を苦しめます。相手が言うように、速攻で反撃できない自分は、無力で劣った人間だと思ってしまう人もいるかもしれません。

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言葉の暴力を受け入れてしまう人は、おそらく、子供の頃養育者から欠点を強調され、長所は無視されて育った経験を持っています。そのために、健全な自尊心が育まれていません。自尊心は、わたしたちが想像するよりもはるかに幼いころに形成され、しかも、大人になった後も長く支配されます。成績や性格が親の希望にかなっているかどうかにかかわらず、ありのままの自分を、存在そのものを受け入れられた、無条件で愛された経験が、「たいせつな自分」という自己イメージを形成するうえで大切なのです。
 必ずしも親である必要はありません。誰かから好意や優しさを受け取り、同じものを返した、暖かな記憶を思い出してください。その人にとってたいせつな存在だったわたし、そのわたしを荒んだ人のスケープゴートにしたままでいるのは、その人に申し訳ない、そんな心境になりませんか?
 散々な人間関係に苦しんでいるときには、ともすれば同様の過去が蘇ってきますが、意識して楽しかった出来事を数えてみてください。安心して心を開き、陰口や他者の隠された真意に配慮する必要のなかった環境と、それに値する自分。それらの記憶は、マイナスに傾いた自己イメージをプラスに戻してくれます。いじめに立ち向かうには、スキル以前に、まず自分がそれに値しないという認識が必要なのです。
 また、加害者も、暖かな交流の乏しい人生だったのかもしれません。そのために、他者と喜びを分かち合う意識が乏しいのかもしれません。
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